鹿島美術研究様 年報第40号別冊(2023)
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4 ローザ兄弟が描いた蔓が螺旋状に巻き付く円柱と、玄関ホールに設置された捻じれ柱ローザ兄弟は1556年にヴェネツィアに到来すると、まず1556-57年にマドンナ・デッオルト聖堂の身廊の天井に、二本で一対をなす捻じれ柱からなるみせかけのアーケードを描いた(1864年消失)(注26)。これがラファエロの弟子ジュリオ・ロマーノ(1499?-1546年)によってローマから北イタリアへもたらされ、ヴェネツィアに初導入されたクアドラトゥーラである(注27)。この捻じれ柱についてヴァザーリは「ローマのサン・ピエトロ大聖堂にあるポルタ・サンタ〔聖なる扉〕のものに似たそれらの円柱」(注28)と述べている。つまり14世紀半ば以降エルサレムのソロモン神殿から運ばれたと信じられていた(注29)サン・ピエトロ大聖堂に伝わる捻じれ柱のことである。実際にはビザンチン帝国で作られたものらしい。この捻じれ柱はラファエロ作《足の不自由な男を治癒するペテロ》〔図10〕に克明に描かれている。大理石の柱身の表面は四分され、螺旋状の溝彫を施した部分と、巻き付いた葡萄の蔓の間で戯れるプットーの浮彫りを表した部分とが交互に配されている。ただローザ兄弟は玄関ホール天井に溝彫りを施した柱ではなく、蔓が螺旋状に巻き付く円柱を描いた。この変更についてシュルツは、玄関ホールのような天井が低く狭い室内では、捻じれ柱は観者の頭上であまりに重たく感じられ圧迫感を与えるためとする(注30)。そこでローザ兄弟はサンソヴィーノらと相談し、サン・ピエトロの捻じれ柱のうち、葡萄の蔓が巻き付いた部分を玄関ホール天井の円柱に採用したのではないか。そしてマチェードが記述したように、玄関ホール入口には本物の捻じれ柱が置かれた。サンソヴィーノの息子フランチェスコ・サンソヴィーノ(1521-86年)も『いとも高貴で独特な都市ヴェネツィア』(1581年)で、玄関ホールから図書室へ続く入口にも捻じれ柱があったと記している(注31)。これらの捻じれ柱は1549-51年にサンソヴィーノ自身が、雇い主であるサン・マルコ財務局によって派遣されたポーラで、6世紀に建てられたビザンチンのサンタ・マリア・デル・カンネート聖堂から選んで運び、玄関ホールに設置したものである(注32)。これらの柱はサン・マルコ聖堂と統領宮の装飾にも用いられた。よってローザ兄弟が描いた螺旋状に蔓が巻き付いた円柱と、サンソヴィーノが配置した捻じれ柱は、サン・マルコ聖堂と統領宮殿がソロモン王の神殿と宮殿とみなされていたように(注33)、図書館をソロモンの神殿(あるいは宮殿)になぞらえる意図があったと考えられる。そしてソロモンに帰される知恵が「わたしは高い天に住まいを定めた」(「シラ書」24,4)ことを表すためにクアドラトゥーラを描かせたと思われ―37――37―

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