㊷ クリムト後期の肖像画における中国的図像1.はじめに世紀末ウィーンを代表する画家グスタフ・クリムト(1862-1918)は、画業全体にわたり数多くの女性の肖像画を描いたことで知られる。なかでも、晩年に制作された作品には、中国美術に想を得たとされる具象的なモチーフが頻繁に画中に登場するのが特徴的である。クリムトの「晩年期」とはいつ頃の時期にあたるのか。それは、画家が大きく作風を変える1910年ごろから1918年に亡くなるまでの時期である。クリムトは1908年の「クンストシャウ(絵画展)」にて国家買上げとなる大作《接吻》を発表するが、その後本作品に代表されるような「黄金様式」と称される金・銀を多用した工芸的な絵画様式は影をひそめていく。1909年から1910年ごろには都会的なモードに身を包んだウィーン女性を主題とした絵画を数点制作し、1912年ごろからは高彩度の補色の対比が効果的に取り入れられ、粗く大胆なタッチで女性たちの姿が表されるようになる(注1)。その後期の女性肖像画の背景に鮮やかな色彩と軽妙な筆触で描きこまれた中国的なモチーフの数々は、画面を構成する大きな装飾的要素となっている。2012年刊のトビアス・G・ナッター編集のカタログ・レゾネによれば、クリムトが1912年以降に制作した女性の肖像画、および人物が描かれた寓意画は29点確認されており、そのうち東洋的な図像や装飾が確認できる作品は16点ほどである。本稿の議論の前提となっているのは、東洋の具象的図像が背景に描かれているのが女性の人物画に限られるという点である。まず後期の画風の変化が顕著に現れるのが、1912年制作の《アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像Ⅱ》である〔図1〕。水平に三分割された背景の上段部分には、まるで京劇の舞台のような情景が展開されている。右側と中央部には数人の騎馬像、左側には人物が配された楼門のような建造物があり、騎馬たちが楼門の方へ駆け走る。本作品は、具象的な中国的モチーフが画中に描きこまれた最初期の作例である。その後、パトロンであったプリマヴェージ夫妻からの注文を受け、クリムトは《メーダ・プリマヴェージの肖像》(1913年)と《オイゲニア・プリマヴェージの肖像》(1913-14年)〔図2〕を制作している。これら二点の肖像画においても東洋的な図像の借用はみられるが、背景全体を支配するほど目立ったものではなくエキゾティックな雰囲気は抑─第一次世界大戦期における人的交流に着目して─研 究 者:兵庫県立美術館 学芸員 尾 﨑 登志子―460――460―
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