クリムトの絶筆とされている(注8)。《死と生》(1911-12年、1915-16年に修正)や《少女たち》(1913年)に続く、人物と装飾模様が複雑に絡み合う作品の系譜に位置付けられる作品である。画面の右半分は所々キャンバスの地がむき出しになっており、人物の胴体と下半身のみが精緻に仕上げられている。その上を鮮やかな模様の衣服が層を成すように重ねて描かれていることから、作家の絵画制作におけるプロセスが垣間見える(注9)。本稿で注目したいのが、先ほどの写真に収められたもう一点の絵画作品、《扇を持つ女》である。本作は作家が没した2年後の1920年にウィーンの絵画展に出品されてからというもの、およそ一世紀の間、同地で展示されることはなかった。長らく個人の所有物として転々としながら、大衆の目に触れる機会に恵まれなかったこの絵画作品が、2021年から2022年にかけておよそ100年ぶりにウィーンで展示された(注10)。このように展示の機会が限られていたこともあってか、本作に言及する論考は管見の限りでは稀である。今回この特別展示を企画し、本作品の調査を行ったキュレーターであるマルクス・フェリンガー氏と意見交流を行い、関連する資料や情報を提供いただく機会を得た。まず、作品に描かれている内容を見ていきたい。この肖像画のモデルは特定されていないが、当時の「ウィーン女性」の典型に当てはまる容姿で表されている。痩せ型で首は少し誇張して長く描かれており、日本の着物のような衣服を身に纏い、鑑賞者に向けた左肩は大きくはだけている。手には扇子を持ち、露わになりそうな胸元を慎ましやかに覆い隠している。この女性の身体表現について、画家が日本の浮世絵に見られるような美人画を参照した可能性が指摘されている(注11)。背景には、壁紙のように中国的な花鳥モチーフが描き込まれている。左上には飛翔する鳳凰、右側には鶴や金鷄、そして蓮の花と植物の装飾模様がその隙間を埋め尽くしている。フェリンガー氏はこの背景の図案における色彩の組合せに関して、中国陶磁の釉薬との近似性を示唆している(注12)。例に挙げられているのが、現在オーストリア応用美術館に所蔵されている清朝・道光時代に作られた文様皿である。この皿のクロムイエロー、コバルトブルー、赤褐色、緑、ピンクといった色の組合せは、清代の陶磁器では頻繁に用いられたものである。同館の所蔵品データベースによれば、この文皿は1869年の時点ですでに館蔵品となっている(注13)。クリムトは1876年に同館の前身であるオーストリア芸術産業博物館附属の工芸美術学校で学んでおり、その後同館の東洋美術コレクションの中でこの中国陶磁(もしくは類作)を目にしていた可能性が十分考えられる。―462――462―
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