る。玄関ホールのクアドラトゥーラが非常に装飾的である(注34)のも、ソロモン神殿の豪華さを暗示するのではないか。加藤氏は、14世紀半ば以降ソロモン神殿と結びついていた捻じれ柱が、16世紀になると古代から伝わる遺品として、他の古代ローマのモニュメントよりも大きく描かれるようになったとした。そしてヴェネツィアの統領宮の「大評議会の間」の天井にあるヴェロネーゼの政治的寓意画《ヴェネツィアの平和と繁栄》(1579-82年頃)に巨大なねじれ柱(前述のサン・ピエトロ大聖堂に伝わるものと酷似している)が描かれたのは、ヴェネツィア共和国が「新しきエルサレム」であると同時に、古代ローマを想起させるモティーフとして「新しきローマ」であることを表しているとした(注35)。よって玄関ホール天井にローザ兄弟が描いた蔓が螺旋状に巻き付いた円柱とそこに設置された古代のねじれ柱も、ヴェネツィアが「新しきローマ」であることを示唆しており、これは図書館建設の目的と合致している。5─1 聖書の「知恵文学」 教師としての知恵よく知られているように、当初玄関ホールは「サン・マルコ学校」として機能していた。この学校は、将来ヴェネツィア政府の書記局官僚になる「生まれによるヴェネツィア市民」のための学校として1446年に設立され、当初は主にギリシア語とラテン語の文法と修辞学が教えられていたが、1460年に詩学、雄弁術、歴史学が追加された。また将来為政者となるヴェネツィア貴族の子息に古典を講義し、人文主義教育を行っていた。授業料は公費でまかなわれた。元来学校はサン・マルコ聖堂の鐘楼付近にあったが、1560年に完成した図書館の玄関ホールに移転した(注36)。ワイブレイによれば(注37)、『旧約聖書』の「知恵文学」の中で知恵は女教師または恋人・花嫁として描写され、人間の努力によって獲得されるものである。まず「サン・マルコ学校」との関連で、知恵の女教師としての側面を見る。「箴言」の第8章「知恵の勧め」では、知恵は城門の傍に立ち、自らを称え人々に知恵を得るように呼びかける。知恵が城門(入口)で呼びかけるからこそ、玄関ホールが学舎に最適な場所として選ばれたのではないか。実際「私に聞き従う者、日々、わたしの扉をうかがい、戸口の柱を見守る者は、いかに幸いなことか」(「箴言」8,34)とある。ティツィアーノの知恵の擬人像が持つ巻物は、古式の書物ゆえに旧約聖書を暗示するのだろう。知恵は「わたしのそばに来なさい、無学な者たちよ、学舎で時を過ごしなさい。なぜ、いつまでもそのままの状態でいるのか…知恵を得るのに金はかからない…知恵はすぐ身近にある」(「シラ書」51,23-26)と、下で学ぶ貴族の子弟らに呼び―38――38―
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