鹿島美術研究様 年報第40号別冊(2023)
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ていたニュルンベルクで繋がりをもつことになったイタリア商人ラファエロ・トッリジャーニの仲介でフィレンツェにもたらされた可能性が指摘されている。トッリジャーニ家はこの聖堂に一族の礼拝堂を持つことを許されていた(注4)。本研究は、ヴァザーリが「木の奇跡」と呼んだこのモノクロームの木彫像を出発点として、1500年前後にこの種の木彫像が流布した背景を探ろうとするものである。モノクローム仕上げの木彫像の先行研究においては、ドイツのフランケン地方に多く残るリーメンシュナイダーの祭壇に関する研究を中心に、彩色を施されたポリクロームの木彫に対してモノクロームの木彫が登場してきた理由を、木彫の技術と表現の巧みさを示したいという彫刻家の意思のあらわれに結びつける傾向が見られる(注5)。しかしここでは、その理由を、彫刻家による表現の追求の結果としてのみ捉えるのではなく、同時代の人々のあいだで行われていた祈りの実践にともなう他のジャンルの木彫に関連づけてみたい。それは小さなツゲ材を彫り刻んで作られ、ヴァザーリの言うドイツ人が得意とする「木の実の種」を刻んだ細やかな木彫を思わせるものでもある。リーメンシュナイダー作《ミュンナーシュタットの祭壇》とモノクローム仕上げここではまず、同時代のヴュルツブルクを中心に活躍した彫刻家リーメンシュナイダーがモノクロームで仕上げた《ミュンナーシュタットの祭壇》(1490-92年)〔図2〕に注目したい。それはのちにファイト・シュトースによってポリクロームの祭壇に変更された。シュトースが祭壇中央の彫像群と浮彫りにほどこした彩色は現在では取り除かれ、それらの彫刻群はリーメンシュナイダーが制作した当初の姿を取り戻している。一方、シュトースが両翼パネルの外側に描いた聖キリアンの生涯の四場面は残された。かつては一体となっていたこの祭壇彫刻は、長年にわたる祭壇の修正や解体ののち、現在、ミュンナーシュタットの教区聖堂とミュンヘンのバイエルン国立博物館、そしてベルリン国立博物館に分散して所蔵されている。当初は、祭壇中央の聖櫃に7人の天使をともなうマグダラのマリアの聖変容を示す丸彫りの彫像群、そしてその左右に聖キリアンとハンガリーの聖女エリザベトの像が配置されていた。契約書によるならば、変容して天に昇るマグダラのマリアを取り巻く天使たちは聖女の左右の6体を数えるのみであるが、かつてはその頭上にもう一体の天使が冠を手にして飛んでいた。聖櫃の左右には扉を構成する翼パネルが取り付けられ、左側の翼パネルの内側に《シモンの家の宴会の席でのマグダラのマリアの回心》と《ノリ・メ・タンゲレ》の場面を、右側のパネルの内側に《司教マクシミアヌスによるマグダラのマリアの最後―473――473―

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