の聖体拝領》と《マグダラのマリアの埋葬》の場面を表す浮彫りが配置された。さらに聖櫃の下部のプレデッラには4人の福音書記者の坐像が並べられ、また上部中央には「三位一体」像が、そしてその左右に聖母マリアと福音書記者ヨハネの像が、そしてこれらの像の上の祭壇最頂部に洗礼者ヨハネ像が置かれていた(注6)。ヤコブス・デ・ウォラギネの『黄金伝説』(13世紀)によるならば、シモンの家でキリストの教えを耳にして回心したマグダラのマリアは、復活ののちのキリストの姿を見た最初の人物であり、のちにはマルセイユに行き着いてこの町の人々をキリスト教に改宗させた。ある時、天国を見ることのできる境地に達したいという思いから、人里離れた洞窟に赴き、以降30年にわたって隠遁生活を送った。彼女はここで、毎日7回の祈りの度に天使たちに天上へとあげられ、1時間ほど過ごしたのち、ふたたび天使たちに導かれて戻ってくるのだった。彼女の死が近づいていたある日、神はその近くで庵を結んでいた司祭の目をひらき、天と地を行き来する彼女の変容を顕にしてみせた。するとマリアは、この司祭に向かって、天使たちとともに聖堂を訪れることを聖マクシミアヌスに伝えてほしいと請うた。そうしてマクシミアヌスの聖堂を訪れたマリアは、死の間際、この聖人から聖体拝領を受け、そののち祭壇のもとに身を横たえて息を引き取った。すると、聖堂中に甘美な芳香が漂ったという(注7)。ミュンナーシュタットの祭壇の両翼パネルの浮彫りは、ヴォラギネの伝えるこの聖女の生涯の重要な諸場面を表したものであり、中央で天使たちに支えられて宙に浮かぶマリアは、隠遁生活のさなかの聖変容のさまを顕にしてみせたものと言えるであろう〔図3〕。これに先立つ1432年に、ティーフェンブロンの教区聖堂では、マグダラのマリアに捧げられた祭壇の翼パネルの外側に、画家ルーカス・モーザーが、ミュンナーシュタットの祭壇にも共通するマグダラのマリアの生涯の諸場面を描いていた。この祭壇画は、1520年ごろに中央の聖櫃部分が拡張され、そこにマグダラのマリアの変容を示すポリクロームの木彫像が設置されることになる。モリスの研究によるならば、中央のマリアの変容は、キリストの変容とその身体の聖性そして救済のテーマを示唆するものであり、祭壇の前で行われるミサの儀式の本質を説くものでもある(注8)。ミュンナーシュタットの祭壇中央のマグダラのマリア像も、その聖なる身体によってミサの儀式に言及していたのではないだろうか。そしてリーメンシュナイダーは、これらの像に彩色を施すことなく、モノクローム仕上げのままに残したのであった。近年までモノクローム仕上げの祭壇彫刻の最初の現存例とされてきた本作であるが、今日では、15世紀にハンス・ムルチャーやミヒェル・エーアハルトといった彫刻家が工房を構えたウルムやその周辺のロルヒで、1480年前後からモノクローム仕上げ―474――474―
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