の祭壇彫刻が制作されていたことが指摘されている。またオランダとの国境近くのカルカールの聖ニコライ聖堂でも、磔刑の場面を精緻に彫り込んだモノクローム仕上げの聖櫃をともなう祭壇〔図4〕の制作が、1488年にルートヴィヒ・ユパンによって着手されていた(注9)。リーメンシュナイダーが《ミュンナーシュタットの祭壇》の制作を依頼された時、木彫祭壇のモノクローム仕上げは南ドイツやネーデルラントにおいては既知のものであった。ミュンナーシュタットの場合は、入念に選ばれた木材やその処理、観者の視点を考慮して彫りの深さを均一に変えている点、そして極めて精緻に彫り込まれた毛髪の表現などを理由に、モノクローム仕上げははじめから彫刻家によっては想定されていたと考えられている(注10)。それに加えて、これらの彫刻を少し淡い黄色がかった褐色にしている塗料が黄色染料のモリンであることが、近年の化学調査によって判明した。モリンは東南アジア原産のクワ科の木から採取されるものであり、当時のヨーロッパではきわめて希少であった(注11)。モノクローム仕上げはポリクロームに比べて経済的で安価であったという見解は、少なくとも《ミュンナーシュタットの祭壇》の場合には当てはまらない(注12)。染料という観点に注目するならば、ここにおけるモノクローム仕上げは、制作者による表現上の欲求にとどまらない理由で計画されたものであったように思われる。モノクロームの「祈りの実」と祈祷の習慣リーメンシュナイダーやファイト・シュトースが大規模かつ精緻な木彫祭壇や等身大の人物像を制作していたのとほぼ同時期、きわめて小さなものではあるが、同様にモノクロームで、微細かつ丹念な彫刻技法で仕上げられた木彫群が存在した。高さが20cmにも満たない小型の個人用祭壇のほか、「祈りの実」や「祈りの林檎」とも呼ばれるものがそれにあたり、硬く緻密な性質ゆえに細かな彫刻に向いているツゲを彫って作られ、個人による祈祷の際に祈祷者が目の前にしていたり、手にしていたりしたものである(注13)〔図5、6〕。果物の芯に似た「祈りの実」の形状は、ヴァザーリが『列伝』において「ドイツ人」が得意と述べた果物の種に施された沈み彫りを想起させる。1500年前後のネーデルラントで広く流布したこれらの小品の多くは、おそらくデルフト付近にあったアダム・ディルクの工房で制作されており、内部に「受難伝」諸場面や「磔刑図」、「哀悼」といったキリストによる人類の救済を説く精緻な彫刻を含み、またその周囲にはしばしば祈りの文句が刻まれている(注14)。それらは、色彩を欠いているがゆえに彫刻の技の巧みさを明確に示している。その小ささは彫刻された画面を細部まではっきりと見てとることを困難にする。「祈―475――475―
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