㊹ 初唐期における天王像腹部の獣面装飾(帯喰)の成立研 究 者:東北大学大学院 文学研究科 博士課程後期 大 沼 陽太郎はじめに東アジアの武装する仏教彫刻には、しばしばその腹や肩、膝や胸に獣面があらわされる。日本彫刻史では「獅噛」と呼称されるこれらの獣面あるいは人面は、いつ頃から天王像等の甲制の一部として成立し定着したのか分からず、あらわされる所以や思想的背景も不明となっている。本報告では、これら獣面装飾のうち、特に腹部で帯を噛む獣面装飾が、初唐期の中国においてどのように成立したのかを明らかにしたい。なおここでの初唐期とは高祖から武則天期に至る西暦618~705年の期間を指すが、特に問題となるのは高宗期(649~683年)である。なお以下本報告では腹部の獣面装飾を「帯喰」、肩部の獣面装飾を「肩喰」と呼称するが、これは形状に基づいた便宜的な呼称である。1.初唐期の腹部に獣面を施す天王像初唐期の腹部に獣面をあらわす天王像は、管見の限り以下⑴~⑸の例のみである。まずは腹部に獣面をあらわす天王像の初例である⑴⑵から、その造像背景をふまえつつ見ていきたい。⑴大唐三蔵聖教序碑 碑頭二天王像(永徽4年〈653〉)⑵大唐三蔵聖教序記碑(同上)永徽4年に大慈恩寺大雁塔に設置された大唐三蔵聖教序および同序記碑は、現在も大雁塔南面初層入口左右の龕に碑陽のみ露出する形で埋め込まれている。序碑は向かって左側(西側)、序記碑は向かって右側(東側)に安置されており、題・文の文字列が序碑では右から左、序記碑では左から右に流れるというように、一対で左右対称に造られている。「大唐三蔵聖教序」の文は、太宗が貞観22年(648)に洛陽において玄奘と会談したのち、新訳経典の序文として御製したものである(注1)。また「序記」は「序」が記された翌日に皇太子であった高宗によって製された。その後、褚遂良(596~658)によって揮毫され、石碑として永徽四年(653)に大雁塔の南面に設置された(注2)。大雁塔は「西域の制度に倣」って造られた表面を甎で覆った土製塔から(注3)、―483――483―
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