鹿島美術研究様 年報第40号別冊(2023)
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序記、序記碑の天王像は非常に新しい。⑶同州聖教序碑碑座十二神将像(龍朔3年〈663〉)同州聖教序碑〔図6〕はもと西安から東北に約100kmの陝西省渭南市大茘県、すなわち清代までの同州にあり、1974年に西安碑林博物館に移された(注9)。この碑も褚遂良の書になる太宗の「大唐三蔵聖教序」および高宗の「序記」を刻む。碑が造られたのは褚遂良が愛州に流され亡くなってから5年後のことであり、荒金大琳氏は大雁塔の序碑・序記碑と本碑の碑文を比較し、本碑がおそらくは高宗所持の拓本から成り、その上で高宗自身により一部修正されたものと推定している(注10)。その碑座の4面には各面3体ずつ、計12体の天王像が高浮彫されている〔図7〕。12体のうちの1体(⑤)が弓箭を構える点などが後世の十二神将図像と共通するこれらを薬師十二神将と仮定すると、着甲像としては敦煌莫高窟第220窟北壁の薬師浄土変相図(642年銘)に次いで古い例となる。玄奘が新訳した『薬師瑠璃光如来本願功徳経』は、8世紀の太賢『本願功徳経古迹』によれば「十二神将饒益有情結願神呪」との異称があったというので(注11)、これを記念あるいは意識した造像である可能性も考えられる。その造形は、碑座正面・背面・碑座左面(正面から観て右側)の三面では左右に片足を上げ片手を腰に当てる像、中央に三曲法(tribhanga)を採って直立する像を配する形式である(①~③、⑦~⑨、⑩~⑫)。各左右像については大唐三蔵聖教序、序記碑碑頭二天王像と基本的には同一の図像からなり、その差異は以下に列挙する通りである。・左右の天王像が共に波状髪を下ろす(⑫像のみ髪を結い上げる)。・肩の獣面が手を腰に当てる内側の肩にしかあらわされない。・左右胸甲中央の飾りが円形のものから菱形のものになっている。・数本のベルトを渡す脛当てを着けない。・仰向けの邪鬼が3指をもって天王像の脚に取り付く。また正面以外では邪鬼が岩に置き換えられる。各中央像は、邪鬼の上には立たず、片腕を屈臂して持物を執る(欠失)。ただし碑座右面(正面から観て左側)の中央像は他面とやや異なり、上体を捻り、左手を踊らせ、右手で上方を仰いで開口し、胸甲中央に方形の飾りが表し、腹甲も方形のものを着ける。上記の三面と尊像構成がやや異なる碑座右面(正面から観て左側)は、向かって左―485――485―

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