クピドは草花で編んだ冠を彼女に被せようとしている。1602年にマンフレディが知恵の女性像を「ウェヌスとクピド」と述べたのも頷ける。ここで従来看過されてきた知恵の擬人像が被るヴェールに注目し、ティツィアーノがほぼ同時期に制作したヴェネツィアのサン・サルヴァドール聖堂にある《受胎告知》〔図16〕と比較してみたい。知恵の擬人像と受胎告知のマリアは主題を異にするが、「知恵は永遠の光の反映、神の働きを映す曇りのない鏡、神の善の姿である」(「知恵の書」7,26)は、聖母マリアの処女性を意味する。この作品で聖母マリアは「キリストの花嫁」として透明なヴェールを被っている(注41)。マリアのS字形の体の曲線、豊かな胸、マントの裾から覗くつま先も美しい。よって知恵の女性像が被るヴェールも花嫁のヴェールである。この官能的で麗しいティツィアーノの知恵の女性像を見たヴェネツィア貴族の子息らは、ますます彼女を我が物にしたいと望むだろう。そして彼女が月桂冠を戴いているように、自らも知恵を得て出世し、栄誉に浴したいと思うだろう。画家は知恵の擬人像を、ソロモンの花嫁あるいは王が獲得するように奨励する花嫁として表したと私は考える。6 クアドラトゥーラとクアドロ・リポルタートたびたび指摘されてきたように、ローザ兄弟によるクアドラトゥーラに対して、ティツィアーノの《知恵》はクアドロ・リポルタート(壁面にある絵をそのまま天井に移したように、天井画なのに頭上にあるようなイルージョンを伴わない天井画)である(注42)。これは画家自身が本作品以前に描いた短縮法や凝視法を駆使した天井画とも異なる。なぜこのような描き方をしたのか。その理由をヴァレンティらは造形的な観点から説明した。つまり画家は中央へと集中していくイルージョニスティックな建築を利用しつつ、これとは正反対のクアドロ・リポルタートによって、自らの寓意画を際立たせようとしたという(注43)。この対照的な描き方によって知恵の擬人像は、厳密な透視図法を適用した建築から時空を超越した次元へと解き放たれ、神々しく出現しているとする。私は意味の観点から補足したい。クレンショウによれば、「知恵文学」において知恵は決して神格化されない。神の属性とはいえ、知恵は擬人化され独立した存在である。高貴な女性である知恵は、神と人間との二つの領域を自由に往来し、天上と地上という二つの市民権を有する(注44)。ティツィアーノはこうした知恵の特性を表すため、クアドラトゥーラにクアドロ・リポルタートを組み合わせることを思いついた―40――40―
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