鹿島美術研究様 年報第40号別冊(2023)
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㊺ 地域美術研究─鉱工業都市・新居浜がもたらす日本近現代美術への影響関係について─(一)住友と近代美術研 究 者:新居浜市企画部文化スポーツ局文化振興課 主査  井 須 圭太郎瀬戸内海に面する人口およそ11万3千人の愛媛県新居浜市は、元禄4年(1691)の別子銅山開坑以来、住友家による鉱山開発と明治以降の近代化に伴う住友企業各社による鉱山、化学、重機械、林業などの各種事業展開により、鉱工業都市としての発展を遂げてきた。別子銅山の開発では、近代以降の鉱山技術の進歩とともに、掘削機械の改良と効率的な採鉱・精錬、さらに加工時に発生する亜硫酸ガスの解消をきっかけとした肥料製造・化学工業、煙害から山林を守るための保林事業などが行われてきた。これらの活動は、いずれも現在の住友グループ発展の礎となっており、新居浜市では昭和48年(1973)の銅山閉山以降も、住友の企業城下町として、製造業を中心とした工業活動が活発に行われている。本研究報告では、新居浜の鉱工業都市としての基盤形成に大きな影響を与えた「住友」と日本近代美術の関わり、また近代以降、工業・製造業の発展に伴い、都市部との積極的な物的・人的交流が行われてきた当該地方における美術家たちの地域間美術交流の諸相や、戦前に地理的風土と時局の要請に応じるかたちで技術者養成を目的に設立された新居浜高等工業学校に学んだ前衛美術家たちの動向について、「地域美術研究」の視点からまとめる。本項では、第一の視点として、地方の都市形成の礎を築いた「住友」と近代美術の関わりに焦点を当てる。住友家では「自利利他、公私一如」の精神のもと公益との調和を重んじ、浮利に走らず国家や社会のために企業が果たすべき役割を重視した(注1)。そのような中、第15代住友吉左衞門友純(号・春翠、1864-1926)は文化振興への想いを強く持ち、家業で成した財をもとに書画・古美術の収集につとめ、明治28年(1895)に兄の西園寺公望の勧めにより黒田清輝《朝妝》を購入した以降は、モネやコランといったフランス近代絵画の収集をはじめ、黒田、鹿子木孟郎、関西美術院など、作家や文化活動への積極的な支援を行った。一方で、収集した西洋絵画が室内を彩り、「邸宅美術館」とも称された須磨別邸洋館の建設(1903年落成)や、大阪図書館(現・大阪府立中之島図書館)の寄付(1904年開館)、アーツ・アンド・クラフツの影響を受けた室内装飾が施された日暮別邸の建設(1906年竣工)など、いずれも野―495――495―

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