鹿島美術研究様 年報第40号別冊(2023)
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とシュルレアリスムとの密接な関係性を連想させるものである。フランス語および英語において「縫う機械」(machine à coudre/sewing machine)と呼称されるミシンの日本語としての語源は、英語の機械を意味するマシン(machine)の発音から派生してミシンと呼ばれるようになった。針先に糸を通す孔のある近代的なミシンが開発されたのは19世紀初頭のことであり、19世紀半ばには日本にも渡来。その後1920年代には海外からの輸入とともに、国内でもミシンが量産されるようになった。ミシンは、科学や産業の進歩とともに機械化が進む近代社会において、生活の一風景としてどこにでも存在する機械として浮かび上がってくる。飛行機や豪華客船という動く巨大な機械が庶民には遠い存在であった時代において、ミシンは家庭内で身近に感得される小さな機械であった。いわばミシンは、モードとの接点において日常生活のなかに持ち込まれた近代化の象徴だったのである。瀧口修造によってその才能を見出され、近年国内外において評価が高まる岡上淑子は1950年代にシュルレアリスムの影響を色濃く反映した一連のフォトコラージュ作品を発表しているが、その作風には制作の成り立ちからして裁縫との親和性が色濃く感じられる作家である。しかし当時の時代背景から考えればそれは作家の特殊性ではなく、裁縫という営為が一般的かつ必然的な日常行為であったことの反映でもあった。岡上が集中的にコラージュを制作した戦後期において、国内には雨後の筍のように洋裁学校が数多く存在していた。現代のように既製品の生産と需要に溢れた情況とは異なり、和装から洋装への移行期となった戦後の時代において、特に女性たちの間では既製服ではなく、配給された生地から手製の洋服を仕立てて身に付ける習慣が一般化しており、ミシンや裁縫道具は日常風景のなかにごく自然に存在していたことが想像される。さらにアンドレ・ブルトンとフィリップ・スーポーの共著「私なんか忘れますよ(Vous mʼoublierez)」は、『磁場』の新版に収録され、1920年5月の「フェスティバル・ダダ」の際に上演された寸劇の台本であったが、興味深いことに、舞台には擬人化された雨傘とミシンが登場する(注2)。雨傘とミシンの登場は、再びロートレアモンによるかの句を連想させるものであり、このふたつの硬質な金属製の部分をもつ無機物が、他の「登場人物」たちと同様にして、生き物として、あるいは人物のような存在として登場してセリフを発する。擬人化されたオブジェ(物体)が人間と同じような存在として場面が展開されてゆく様は、自動記述を舞台化したかのような光景であり(注3)、偶然引き合わされたもの同士が、機械と人間、無機物と有機物という境界を越えて対等に交換し合う舞台であった。―504――504―

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