鹿島美術研究様 年報第40号別冊(2023)
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2.マネキンが動く─無機質化される身体/無機物と有機物の交換海野弘氏はその著作『都市の神話学』の中で、1910年代のデ・キリコの絵画にマネキンが登場するようになり、またその数年後にファッション・ショーで、それまで主役であったマネキンが生身の人間(=モデル)へ取って代わるようになるモードの移行期の時代に注目している(注4)。ジョルジョ・デ・キリコは1915年頃から、人気のない都市に機械のように佇む人体─顔の造作のない卵型の頭部を持つマネキン─を描きはじめるようになるが、一種擬人化されたマネキンは、デ・キリコの絵画でもその特異な作風を印象づける重要な題材であった。それまでのファッションの世界では、マネキンにドレスを着せつけて展示し、顧客たちはこれらやそのスケッチを見て注文した。しかしその後、1919年に、静止して動くことのないマネキンに取って代わり、生きたモデルがファッション・ショーに登場するようになる(注5)。モデルがランウェイを歩く姿なくしては成立しない現代のスタイルが誕生する以前の時代において、生身の人間が「動いて」みせるショーは画期的であったという。「動くマネキン」が登場した1919年とは、シュルレアリスム運動の胎動期において、ブルトンらによって自動記述が試みられた年とも重なり合う。さらにマックス・エルンストが、デ・キリコの作品からインスピレーションを得たマネキンを登場させた初期のリトグラフ作品《流行は栄えよ、芸術は滅びるとも》を制作したのもまた1919年のことであった。そこには顔のない卵型の頭部をもつ人間と、同じような頭部をもつマネキンが登場するが、人物は機械仕掛けの無機質なオブジェのようでもあり、マネキンもまた人間に支配されながら意思をもつ人形のようでもあり、それらの共存は、機械文明における両者の危うい均衡を暗示しているかのようである。生物的かつ有機的なラインや意匠が用いられたアール・ヌーヴォーの時代を経て、アール・デコの時代には無機質かつ鉱物的な意匠が好んで用いられ、機械化を連想させる幾何学的な文様が多用されるようになった。このような転換期において、硬質であり、機械、あるいは無機物としてのミシンやマネキンが頻出してくるのは、近代化における日常生活に身近に「機械的なるもの」が導入されるようになることと連動してみえてくる。モード界の1920年代は、生身の人間(モデル)と無機質な物体(オブジェ)であるマネキンとが共存し、さらにこれら有機物と無機物の役割が入れ替わろうとする時代であった(注6)。静止状態を保つオブジェとしてのモデル(マネキン)が、やがて生身の人間として「動き出す」というエネルギーの変換は、生物と無生物という対極にあるもの同士の―505――505―

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