役割の交換であり、その共存と変容もまた、デぺイズマン的な刺激を内包するものである。先に示したコーネルによるコラージュ作品〔図3〕には、機械(ミシン)の針に縫い取られてゆく人間の姿が登場するが、ここにおいても無機物と有機物の共存と役割の入れ替わりが想起され、無機物(オブジェ)であるミシンが生身の人間を凌駕し、顕在的にも潜在的にも機械が人間の意識に潜入してそれを操る様子が暗示されているかのようである。3.カッサンドルの貢献1934年にハーパース・バザー誌のアート・ディレクターに就任(1958年まで歴任)して辣腕をふるったアレクセイ・ブロドヴィッチが、雑誌の表紙を手掛ける作家として目を付けたのが、カッサンドルだった。ブロドヴィッチの要請により、カッサンドルのアメリカ版「ハーパース・バザー」誌の表紙制作に関する契約がなされたのは、1936年1月に開幕したニューヨーク近代美術館におけるポスター作品の回顧展が開催された後のことで、本展で注目を集めたことが契機となっている。カッサンドルによって手掛けられた一連の表紙は、1867年に創刊した同誌のクラシカルな印象を突如として変貌させた。彼は一見するとファッション誌らしからぬ革新的なデザインによって、1930年代後半期の「ハーパース・バザー」の一時代にシュルレアリスムの印象を遺憾なく投影させたのである。カッサンドルの登場以前、エルテらによって描かれた1920年代の表紙には、最先端をゆくハイファッションに身を包んだモデルの全身像や上半身の全体が装飾的に描かれており、主役はあくまでもドレスや帽子といったモードの意匠であった。しかしカッサンドルによる人物表現は、往々にして分断化された身体として呈示された。ウエストから下の脚部のみを描いた図像〔図5〕や、地面の泥を蹴りつける靴を履いたA.M.カッサンドル(本名、Adolphe Jean-Marie Mouron, 1901-1968アドルフ・ジャン=マリー・ムーロン)は、シュルレアリスム運動の当事者ではなく、またシュルレアリスムの文脈において語られることも稀であるが、彼の名を一躍有名にしたポスターデザインは、1920年代から30年代の大戦間に集約されており、シュルレアリスム運動の隆盛期と重なり合うものである。アール・デコの時代を代表するポスター作家として名を馳せたカッサンドルは、1921年頃には作家の代名詞ともいえる初期のポスターを手掛けており、1923年に制作した大型のポスター《オ・ビュシュロン(Au Bûcheron)》がパリの街頭の至る場所に掲出されるようになると、そのデザインは話題を呼び、カッサンドルの名を世に知らしめることとなった(注7)。―506――506―
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