足先〔図6〕は、とりわけ異質なものとして浮上する。さらに解体された顔の一部としての「眼」や「唇」〔図7〕はシュルレアリスムの表現に頻出する身体の部位であったが、このような人体の捉え方は、シュルレアリスムにおける身体の分断化、オブジェ化に通じるものであった(注8)。さらにカッサンドルによる表紙には、モデル(人体)さえ描かれない即物的な物体が登場してくる。なかでも裁縫に纏わる斬新なイマージュは特徴的であった。弧を描く縫い糸と針が刺さった生地は鋭角的に屹立し〔図8〕、画面一杯に描かれた裁縫バサミは大胆に生地を切り分けている〔図9〕。裁縫道具の使い手である人物や手は描かれず、対象となる物体自体が意思を持つ生き物のように描かれている。また分断化された手の人差し指には指ぬきが嵌められ、その宙を糸巻きが取り囲む〔図10〕。それらは、20年代以前に描かれた無表情なモデルよりも生き生きとした生気を放つもののように見えてくる。アール・デコを代表するポスター作家として豪華客船や豪華列車の代表作を創出したカッサンドルが注目したのは、社会に台頭しはじめた巨大な機械の存在感だった(注9)。一方、1930年代後半、ハーパース・バザー誌の表紙を飾ったカッサンドルによる「機械的な」イマージュとは、ファッションとの繋がりにおいてそのスケール感を縮小させクローズアップさせながら、ここではメタリックな裁縫道具として扱われることとなった。ハサミや針、指ぬきといった金属質の硬い器具は、ここでもまた即物的であると同時に有機的な生き物のように描かれ、有機物と無機物の交換を扇動することによって引き起こされるデぺイズマン的な違和によって、その視覚的吸引力が高められている。彼のイラストレーションは、それまで引き継がれてきたファッション雑誌のモードとしての印象をドラスティックに変貌させ、強力なメディアとしての波及力をもつ老舗ファッション誌の表紙を舞台として、シュルレアリスム的なイマージュを大衆社会に対して発信させた。それらは、美術やシュルレアリスムに特に関心をもたない一般読者を含むファッションフリークの潜在意識のなかにも広く浸透し、モードというフィールドのなかにシュルレアリスムがひとつの象徴性をもって放たれた貴重な契機ともなったのである。本稿では、「ハーパース・バザー」誌を介してカッサンドルによって発信されたシュルレアリスム的表現に注目するとともに、シュルレアリスムにおけるファッションに関連する図像の表出を、裁縫に纏わるイマージュを中心として考察した。そこでは、機械化、近代化する変換期の社会において展開されたシュルレアリスム運動の概念を孕みつつ、その特質に通底するモード的イマージュが、意識と無意識の境界線上に召―507――507―
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