鹿島美術研究様 年報第40号別冊(2023)
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注⑴国内において、ファッションおよびモードという言葉の定義については様々な解釈が考えられる。しかし本稿では、一般的に英語ではファッション(fashion)、フランス語ではモード(mode)と表現される、衣服や装飾品を中心とした装いの表象という文脈において、同義に捉えて使用することとする。喚されていたのである。⑵登場人物として記されている配役は以下の通りであった。雨傘:アンドレ・ブルトン、ガウン:フィリップ・スーポー、ミシン:ポール・エリュアール、見知らぬ男:T. フランケル(『アンドレ・ブルトン集成第3巻』大岡信・安部良雄訳、人文書院、1970年、p. 282所収)⑶巖谷國士「解題」『アンドレ・ブルトン集成第3巻』大岡信・安部良雄訳、人文書院、1970年、⑷海野弘『都市の神話学 一九二〇年代の影』フィルムアート社、1979年、pp. 166-167参照。⑸最初にこのアイデアを着想したのは、ポール・ポワレであった。⑹「ファッションのイラストレーションは写真によって、マネキンはモデルによってしだいに第一線の座をとって替わられる。20年代は両者が共存して、やがて交換しようとした時期だった」(海野弘『都市の神話学 一九二〇年代の影』フィルムアート社、1979年、p. 166-167所収。⑺1925年には本作により「国際装飾・美術博覧会」(通称:アール・デコ博覧会)でグラン・プリを獲得。名実ともにアール・デコを代表する作家として認知されるようになる。当時の美術界や社会的風景のなかにおける彼の作品の影響力は多大なものがあった。「彼の新作が街頭に現れるたびに、若いアーティストたちがその前に集まり、熱烈な議論をくり返したと言われている。」(松本瑠樹「アール・デコとA・M・カッサンドル」『カッサンドル』学習研究社、1991年、p. 330所収)⑻ヴォーグ誌の表紙においては、1929年にはモデルの「顔」が登場しない、「手」のみの表現がはじめて登場するとともに、この頃から身体表現の簡略化が散見されるようになる。そして1930年代後半期を中心に、ピエール・ロワ、ルパープ、ゼイリンガー、サルバドール・ダリらによるイラストレーションによって、シュルレアリスムの影響がみられる表紙が断続的に掲載された。同誌においては1939年が、シュルレアリスムの影響が最も色濃くみられる年である。以降、第2次世界大戦の勃発を契機としてシュルレアリスムは終息に向かい、「ハーパース・バザー」同様、「ヴォーグ」の表紙からもその痕跡が姿を消すようになる。1931年に初めて表紙に写真が登場し、その後写真とイラストが混在する時期を経て、1940年には9割が写真にとって代わるようになる。以降、現代に至るまで、ファッション誌の表紙はモデルを撮影した写真が定番となっている。⑼「彼が表現するのはこの時代を支配した「機械」の美学である。」(海野弘「カッサンドル・ポスターの図像学」『カッサンドル』学習研究社、1991年、p. 163所収)p. 351参照。―508――508―

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