鹿島美術研究様 年報第40号別冊(2023)
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出土する陶磁器のなかにも、江戸時代の肥前陶磁が混在しているのではないか。筆者は中国陶磁として報告されてきた陶片の中から肥前陶磁の抽出を試みた(田代 2019・2020)。本研究はそれらの成果をもとに、漢陽都城内の消費地遺跡から出土した江戸時代の肥前陶磁について出土例とその様相を述べたうえで(注5)、朝鮮時代に流通した肥前陶磁のどのような様式が朝鮮時代陶磁(白磁)に受容されたのか考察するものである。1.肥前陶磁の出土例まず現在まで筆者が確認した江戸時代の肥前陶磁の出土例は、計28点である〔表1〕。生産年代として基本的に18-19世紀の製品であるが、17世紀後半の製品と思われるものとして清進洞12-16地区遺跡出土の染付皿片〔図9〕、都染洞遺跡出土の青磁皿片〔図10〕の2点がある。先述の通り、家田の先行研究で伝世・出土例が確認されたのは、いずれも18世紀以降の製品であるため、それよりも古い生産年代、とくに『宗家文書』の1660年代からそう離れていない生産年代の製品が、漢陽都城内から出土したことは注目される。しかし全体的な傾向として18世紀以降の製品が多数を占めており、家田の先行研究と同様の傾向を確認できる。出土品の下限年代をもとに分類するならば、28点は17世紀:3点、18世紀:19点、19世紀:6点となっている(注6)。なお本稿では考察の対象から除外しているものの、1870年代以後の産業陶磁が膨大に出土していることを踏まえるならば、19世紀の実質的な数量はより多いものと思われる。また出土品の消費年代を推定できる出土例として、敦義門博物館村遺跡出土の色絵皿片(生産年代:17世紀末-18世紀初)〔図26〕がある。これは器の高台内側にハングル点刻銘を記しており、「…」(筆者訳:癸卯 大殿用六…)と記されていることから1720(粛宗46)年または1783(正祖7)年に王室儀礼で使用されたものと推定できる(注7)。生産地としては有田製品と思われるものが殆どであるが、対馬製品と思われるものとして、清進1地区遺跡出土の染付皿片〔図2〕、宗親府跡遺跡出土の染付皿片〔図13〕があり、また波佐見製品と思われるものとして、清進5地区遺跡出土の染付皿片〔図3〕、鍾路マロニエ公園内遺跡出土の染付皿片〔図15〕がある。また家田が先行研究で通度寺雪松堂浮屠(1754年造営、慶尚南道梁山市)舎利具に確認した筒江窯(佐賀県山内町)の製品を新たに2点確認した。このうち清進8地区遺跡出土の染付皿片―512――512―

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