地区遺跡出土の染付皿片〔図2〕や中区草洞72-10番地一円遺跡出土の染付皿片に確認できるような円圏「福」文である。朝鮮時代陶磁(白磁)における青花の円圏文字文は、仙東里2号窯跡(運用年代:1640年代、梨花女子大学校博物館、1986年発掘報告)から出土した円圏「祭」文の青花陶片が最も古い(注12)。しかし18世紀になると「祭」の字に加えて「寿」「福」の字が登場する(注13)。この円圏「寿」「福」文は当初それぞれ単独で装飾されるが、次第に様々な文様と組み合わせて装飾され、装飾文様として広く使用されるようになる〔図31〕。とくに19世紀の製品には、上述した栗文様を伴ったものもあり、それは肥前陶器、例えば中区草洞72-10番地一円遺跡出土の染付皿片〔図21〕と非常に似通っている。円圏「寿」「福」文自体は、円圏「祭」文をベースとして朝鮮国内で内在的に生まれたものであろう。しかしその後装飾文様として多数登場する背景に、18世紀以後朝鮮に多数もたらされた肥前陶磁の作用もあったのではないかと類推し、仮説としたい。おわりに朝鮮時代における肥前陶磁様式の受容をめぐって、肥前陶磁が最も多く出土する漢陽都城内遺跡出土品を視座として考察した。結論として、第一に肥前陶磁は17世紀後半以降の製品を確認でき、とくに18-19世紀の製品が多数を占める様相を呈している。また中国陶磁の出土様相と比較した際、中国陶磁の流通・消費が減少傾向を辿るなかで肥前陶磁が流通・消費されたことを確認でき、そのような18世紀以後の状況を肥前陶磁様式の受容をめぐる前提として指摘した。第二に受容された肥前陶磁様式をめぐって、19世紀の朝鮮時代陶磁(白磁)に登場する栗文様と構図(円圏を中央に配し、その圏線を土坡に見立て、草花文様を配する構図)は、漢陽都城内遺跡から出土した肥前陶磁に同様の文様と構図を複数確認でき、影響関係を想定できる。また円圏「福」文についても朝鮮国内の内在的な展開に加えて、肥前陶磁の作用を推定し、仮説とした。以上、18世紀以降肥前陶磁が多数流通・消費されるなか、肥前陶磁の様式が受容され、19世紀を前後して朝鮮時代陶磁(白磁)に反映されるとして、本調査研究の結論としたい。※本調査研究にあたって、貴重なご助言をくださった新井崇之先生、イ・ジヒョン()先生、中野雄二先生、パク・ジョンミン()先生、水本和美先生、村上伸之先生(五十音順)に篤く御礼申し上げます。)先生、家田淳一先生、大橋康二先生、片山まび先生、ソン・ホジン(―515――515―
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