浙派は、特に15~16世紀、つまり中国明時代の前半に流行した画風で、明の宮廷嗜好を反映し、南宋画院の画風を主軸に、ほかの各派の画風を融合させたものとされる。南宋の馬遠、夏珪画のように湿潤な江南の空気を取り入れながら粗放な筆墨法と雄大な構図が特徴といえる。その描き手の多くは浙江、広東、福建出身の職業画家で、主に浙江地域を中心に活躍したため、その画風を「浙派」という。代表的な浙派画家は、戴進(1388~1462)、李在(15世紀前半に活躍)、周文靖(15世紀前半に活躍)、林良(約1424~1500)、呉偉(1459~1508)、呂紀(約1429~約1505)、呂文英(15世紀後半に活躍)、王諤(約15世紀後半~16世紀前半)、鐘礼(約15世紀後半に活躍)、朱端(16世紀前半に活躍)などが知られている。創始者の戴進(1388~1462)を含め、多くは宮廷画家として仕えた。そのため、次第に宮廷の画風を追随した民間の画家によって、浙派の絵画は宮廷内外ともに高い人気を得た。その画風は画家によって様々に示されているが、基本的に硬質的な線と対角線構図による南宋院体画風に立脚している点で共通している。例えば、戴進筆《渭濱垂釣図》(台北故宮博物院)では、対角線を意識した構図や輪郭線のみで形取った遠景の山、斧劈皴で表現した岩の質感や釘頭描を駆使した人物の衣文など、画面の随所に南宋の李唐や馬遠などの院体画風を継承しているところが見て取れる。一方、《春遊晩帰》は、全体的に丁寧な筆触と繊細な色彩感覚は馬遠の画風を想起させるが、手前の橋と画面真ん中よりやや下にある橋の描き方から分かるように、筆致に多様な変化を持たせている。初期狩野派における明代絵画との関連性について、例えば狩野正信の横川景三賛《観瀑図》は全体的に夏珪風でありながら、松樹の表現は明代中期の画院画家王諤周辺の画家の作品に先例を見出すことができると指摘されている(注1)ように、正信は同時代の明代絵画を部分的に取り込んでいることが明らかである。一方、元信については、特に花鳥画の大画面を作る際に必要なものを明時代の大画面に求めたと指摘されている。また、元信と正信の作品の関係性について、たとえば正信の《山水図》(個人蔵)と元信の《真山水図》(京都国立博物館)の近似性から分かるように、正信の《山水図》の岩や樹木の形態は元信の《真山水図》へと受け継がれ、元信の画業成立に父の正信から大きな影響を受けていることが明らかである。特に《山水図》の画面の右に配置されている主山は斜めに突き出てから上へと聳え立つような特徴的な形〔図1〕をしており、元信の《真山水図》の中央からやや右側の山の形と酷似している〔図2〕。この正信の《山水図》における山は、その形からおそらくもともとは南宋画家閻次于筆と伝えたれている《鏡湖帰棹図》(台北故宮博物院)と共通する図様の作品―522――522―
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