鹿島美術研究様 年報第40号別冊(2023)
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とダイナミック感が生まれる〔図11〕。ただ、自然の雄大さよりも一種の装飾性が認められる。鐘礼(15世紀後半~16世紀初期)は号は会稽山人、南越山人、字は欽礼、浙江省会稽上虞の人で、1490年頃に宮廷画家として仕え、1510年以降に郷里に帰ったとされる(注6)。その作風は《寒巖積雪図》に配置されている険しい岩山から表されているように、南宋の馬遠、夏珪らが構築したいわゆる辺角山水を基調としながらも、モティーフの大きさや配置によって対角線構図を打破し、ダイナミックな山水となる。一方、空間の構築が単純化され、モティーフとモティーフの間の奥行きや空間性への意識が薄らぎ、全体的に平面的で装飾的にみえる。それは馬遠款《擧杯玩月》(台北故宮博物院)の空間表現についても同じである。《擧杯玩月》はもともと馬遠の筆とされてきたが、隠されていた鐘礼の落款印の発見と作品の画風の類似性によって、鐘礼の作品であると考えられている(注7)。巨大な山体を背景に崖上の平地に文人が酒盃を片手に持ちながら月を観賞している場面が描かれ、墨と余白の対照で朦朧とした月の夜がよく表現されている〔図12〕。《寒巖積雪図》と同様に、中景に薄墨で描かれた樹木を配置し、前景の人物の空間と遠景の山との間の奥行きを取っている。これは南宋の院体画にもよく現われる手法であるが、鐘礼の作品では遠山と前景の大きさの比例から、深奥な空間性というよりもやや装飾的な画面と感じる。鐘礼の作品は金地院蔵《春冬山水図》のように、古くから鐘礼筆として日本に渡ったものもあるが、多くの場合は馬遠やその周辺の画家の作として伝わる。岡山県立美術館所蔵の伝馬逵作《魏徴奉使図》もその一つであろう。《魏徴奉使図》は《擧杯玩月》と反対の構図、すなわち、左側に松樹や人物を配置した《擧杯玩月》と逆に、右側に松を配置し、人物も右側から出てくるという演出となっている〔図13〕。両作とも、手前には大きな岩が見え、遠方には巨大な山が背景となっている。また、その主山は形と山容が酷似しているほか、葉のない樹木が点在しているのも共通している。《魏徴奉使図》は馬逵という馬遠の兄に相当する画家の筆と伝称されているが、実際は鐘礼の画風にきわめて近い作品といえる。板倉氏の指摘によると、松樹の枝ぶりや直線的な衣文線などが浙派の作例とされる伝馬遠《四季山水図》(ソウル・国立中央博物館)の春幅に通じ、明時代中期の浙派の典型的な作例であるが、対角線の構図に加え、馬遠が多用するモティーフが見られるため、当時の日本の鑑賞界は馬遠周辺の作者によるものと鑑定したのだろうという(注8)。いずれにしても、《魏徴奉使図》は浙派の画風を示す作品で間違いない。そして、《擧杯玩月》と《魏徴奉使図》の近似性から浙派絵画は作品間で構図やモティーフの転用を確認できる。―525――525―

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