注⑴板倉聖哲「正信と元信、初期狩野派の中国絵画理解」、サントリー美術館編『六本木開館10周瀑図》のそれらと一致する。また、人物の頭上に高所から流れ落ちる滝の水によって生じる湧雲の配置も両図が共通しているため、もとは同じ図様の作品を手本にして制作された可能性が極めて高い。そして、手本となる作品が永享9年(1437)の前にすでに日本に渡って、その後の日本の観瀑図に影響を与えているにもかかわらず、半世紀後の浙派画家鐘礼の作品に同じ構図とモティーフの《高士観瀑図》が存在している。つまり、《高士観瀑図》と類似する作品が複数存在しているということであろう。すなわち、その頃の中国と日本の山水画はいずれも類型化、パターン化する傾向があるということである。以上をまとめると、同じく馬遠、夏珪などの南宋院体画にルーツをもつ初期狩野派とその周辺で制作された山水画および中国浙派の山水画は、共通して馬遠、夏珪らの画風から継承したモティーフを変形、もしくは誇張して描く傾向がある。また、作品間のモティーフの転用、パターン化、類型化の傾向もみられる。結果的に、両者とも宋時代の山水画にある合理的な、自然な空間感覚をなくし、平面的、装飾的という似通った特質が表れている。源豊宗は日本絵画の独自性の主張に大きな一歩を踏み出した美術史家として、源の功績はいくら讃えても過剰だとはいえない。しかし、本研究で明らかになったように、中国絵画と比較すれば、「秋草の美学」という主張は、日本美術における中国美術との共通項を否定、あるいは看過することにより、一種の純粋な日本的特質を抉り出したこととなっている。それは「日本的」とは何かを浮上させた一方、日本を中国などの東アジア地域とのつながりから孤立、切断させるということにもなり、本来、日本美術に存在するものを過小評価することで、日本美術を単純化、矮小化させてしまうという危険性に陥ることになろう。日本美術の独自性あるいは「日本的」とは何かをいうには、より相対的な比較研究が必要である。年記念展 天下を治めた絵師 狩野元信』、2017年⑵畑靖紀「夏珪の瀟湘八景図と室町水墨画:東山御物の規範性に関する試論」、國華編輯委員会編『國華』126(8)、2021年、5-20頁⑶「山水人物図」解説、『根津美術館蔵品選─書画編』、根津美術館、2001年、41頁⑷板倉聖哲「明・王諤筆春景山水図」、國華編輯委員会編『國華』124(9),33、2019年、35-37頁⑸板倉聖哲「正信と元信、初期狩野派の中国絵画理解」、サントリー美術館編『六本木開館10周―527――527―
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