I.ドラクロワと親ギリシア主義② ウジェーヌ・ドラクロワのオリエンタリズム再考─ギリシア独立戦争に纏わる戦闘イメージを一例として─序研 究 者:東京大学大学院 人文社会系研究科 博士課程 湯 浅 茉 衣ウジェーヌ・ドラクロワ(1798-1863)の画歴を語るうえで、1832年の北アフリカ旅行(注1)を欠かすことはできないだろう。彼は、現地モロッコやアルジェリアから持ち帰った素描帖に基づく制作に生涯取り組み、《アルジェの女たち》(1834年、パリ、ルーヴル美術館)に代表されるような19世紀オリエンタリズム絵画の一典型を生み出した(注2)。それはまさしく、北アフリカの実地見聞に依拠したリアリティある描写を特徴とするものだが、他方、1832年以前にドラクロワが描いたオリエント主題の作例はどのようであるのだろうか。先行研究はこの問いに、「北アフリカ旅行以降のオリエンタリズム絵画を準備したもの」と主に答えてきた(注3)。しかし、こうした遡及的な解釈は、若きドラクロワがフランスの首都パリにいながらオリエント世界を夢想して描いた作品、という側面を等閑視するおそれがある。ある種の幻想性をたたえた作品群を分析するには、1820年代に特有の論点、すなわち当時の時事問題への関心や青年期を彩った文学趣味などから探らねばならない。以上の観点から、本研究はドラクロワが1820年代にギリシア独立戦争(1821-29)の絵画化に意欲的に取り組んだという事実に着目し、一連の作例における描写を検討することで、そのオリエンタリズムに新たな視点を投げかけることを目的とする。本稿では、特に《キオス島の虐殺》〔図1〕の中景に描かれた場面を取り上げ、戦闘イメージの生成に焦点を当てたい。オスマン・トルコの支配からの解放を目指すギリシア人の戦いは、西欧文明の源流としての古代ギリシアへの憧憬や王政復古期におけるリベラル思想の高まり、キリスト教徒に対する同胞意識を背景として、フランスをはじめとする西欧諸国の世論をおおいに刺激し、「親ギリシア主義(philhellènisme)(注4)」と呼ばれる現象を引き起こした(注5)。画家たちも絵筆でもってギリシア支援に参加していくわけだが、なかでもドラクロワは、1821年9月、すなわち開戦から半年の時点で、この戦争をサロン(官展)に出品する歴史画の題材にしようと構想していた(注6)。その反応は例外的な早さであり、彼は1824年作《キオス島の虐殺》によって、ギリシア独立戦争を―532――532―
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