III.《キオス島の虐殺》中景の戦闘場面《キオス島の虐殺》(以下《キオス》)には、中心人物が集合する前景と空の広がる後景との間に、激しい戦いと掠奪を繰り広げる人物群が描き込まれている〔図3〕。子どもを抱えて逃げまどう女性の頭部を背後からぐいとつかむオスマン・トルコ兵、銃剣によって負傷して仰け反り、あるいは地に倒れ込んで、事の行く末を見守る力しか残されていないギリシア人男性たちが看取できる。群像より画面手前で地に伏す負傷者─ちょうど前景のトルコ兵が騎乗する馬の前脚と重なっている─は、前景から中景への移行を演出するために置かれたようだが、この戦闘場面が本作において独立した存在感を示しており、一種の書割のごとく画面にはめ込まれている印象は拭えない。制作は詩人へのオマージュという側面を有している。だからこそ、本作を発表した1826年のルブラン画廊の展覧会には、《ジャウールとパシャの戦い》(シカゴ・アート・インスティテュート)と《マリノ・ファリエロの斬首》(ロンドン、ウォレスコレクション)のような、バイロン文学主題の絵画も共に展示されたのである。筆者は以上のような作品群を、3つに大別して検討することを提案する。すなわち、戦争被害者としてのギリシア系住民の描写、戦闘場面、そして寓意像である。では、第二の戦闘描写の作例を具体的に見ていきたい。本場面はどのように生み出されたのだろうか。ルーヴル美術館所蔵の素描群を検討していくと、まずRF 10035という目録番号が付された1点がある〔図4〕。そこには躍動感に満ちた戦闘の様子が、石墨の生き生きとした描線によって、画面からはみ出さんばかりに大きく表されている。インクで描かれたRF 10595では、戦うギリシア義勇軍兵士(palikare)や馬の個別的な探究が確認できる〔図5〕。そしてRF 23355(fol. 15v)においては、黒鉛筆と白いハイライトで活写された戦いの全体像が、描き添えられた横長の画枠内に収まるように展開している〔図6〕。他方、インクと淡彩を巧みに用いたRF 22715(recto)は、オリエント風の衣装を身に纏う男性2人の争いをクローズアップでとらえている〔図7〕。ドラクロワは多様な素材を用いて、様々な角度から戦闘場面を構想していたことが見て取れる。しかしながら、これらの素描が確実に《キオス》の準備素描であるのか、もしくは他のオリエント主題の構想であるのか、正確に読み取ることは難しい。なぜならば、ドラクロワは1824年の大絵画の制作と並行して、「マルコス・ボツァリスの最期の戦い」、そしてバイロンの詩に基づく「ジャウールとパシャの戦い」という2つの画題―534――534―
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