V.混ざり合う構想:ドラクロワのオリエンタリズムの複層性ル」と称される青年は、レイラという娘と恋に落ちるが、彼女はその地域の有力者ハッサン(ドラクロワはトルコ高官であるパシャと判断している)に仕える奴隷であったがために、密通の廉で殺害されてしまう。怒りに燃えるジャウールはハッサンに戦いをしかけ、彼を刺し殺す。しかし、後に罪の意識と悲しみに苛まれ、東方正教会の修道院に身を隠すことになる(注22)。ドラクロワは生涯にわたって、この詩を題材にした、少なくとも5つのヴァージョンの油彩画と、複数の版画なども手掛けている(注23)。そのうちの最初のヴァージョンは、制作開始を告げる日記の記述より2年後の1826年に完成され、前述の通り、ルブラン画廊の展覧会に出品された〔図9〕。そこには、今まさに相手に攻撃を加えんとする騎乗の人物2人が描かれている。画面右で鑑賞者に背を向け、メイス(鎚矛)を振り上げるのがハッサン(パシャ)、一方の左側で鋭い刃をまっすぐ構えるのがジャウールであり、彼は血走った瞳を標的から逸らそうとはしない。本油彩画は、騎乗の戦いであるという点でボツァリスの素描〔図8〕の描写と異なるかもしれないが、画面右下の地面でなんとか身を起こして刃を持つトルコ人は、夜襲に驚くオスマン・トルコ兵を確かに想起させる。何より、土埃と硝煙の舞う背景描写、戦いの推移を効果的に示すために馬を巧みに活用する手法が、両者に共通しているのではないだろうか。このように、ちょうど《キオス》の制作時期のただなかにあたる1824年4月から5月頃、ドラクロワはギリシア独立戦争の闘士と、オリエント世界を舞台にしたバイロン文学という、他の2つのオリエント主題から着想を得た戦闘場面にも専念しようとしていた。ゆえに、III節で確認した素描群は、いずれかの主題の習作として明確に同定することは困難である。先行研究でも判断は曖昧なままであり、RF 10035とRF 10595は《キオス》の準備素描〔図4、5〕、RF 23355(fol. 15v)はボツァリス主題の準備素描〔図6〕、RF 22715(recto)は『ジャウール』主題の構想〔図7〕とされる傾向にある(注24)。筆者も概ねこの分類に従うが、例えばRF 10035の躍動感あふれる戦士たちが、ボツァリスたちスリオットではなく、ハッサンを殺害せんとするジャウールではない、と言い切れるはずもない。ここで、《キオス》の全体の構成を示す水彩素描にも視線を注いでみよう〔図10〕。人物たちの後方、中景にうっすらと描かれた情景に目を凝らすと、戦いと掠奪の場面が展開しつつある。下半身を赤い衣で覆った人物が立ち上―536――536―
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