この銘文について特筆すべきことは、第一に、詩中に、器を連想させる単語が含まれているという点である。出典不明のこの詩は、17世紀に制作されたイラン製倣青花陶皿に最も頻繁に銘文として施される詩のうちの一つであり、下線を引いた器を連想させる単語(ここでは容れ物[qāb])は、他の単語で代用され得る(注10)。例を挙げると、このqābという単語は、出光美術館の作例(所蔵番号12342、口径34.5cm)〔図3〕においては、saḥn(大皿、ṣaḥnのスペルミス)、イタリア国立東洋博物館所蔵の作例(所蔵番号12582/13951、口径27cm)〔図4〕においては、kāsah(深皿)の語に置き換わっているのである。このことは、17世紀のイランにおいて、一つの器種・器形(皿)を言い表すために用いられる語彙が豊富であったことを示しているのかもしれない。第二に、韻を踏んでいる各連の末尾(太字で示した4箇所)が、銘文を囲んでいる枠の位置と対応していないという点が挙げられる。このことは、陶工が、銘文とすべき詩を、目で見て、押韻箇所が揃えられる傾向のある詩集の写本などから書き写しているのではなく、その場で聞いて筆写しているか、もしくは自身が暗記して筆写していることを示唆している。先に挙げた、出光美術館所蔵の作例にみられる綴り間違いも、銘文が、陶工の記憶ないし音による伝達に基づいている可能性を示唆するものである。筆者が博士論文において明らかにした通り、15世紀末以降のイランは、手工業に携わる人々がペルシア語詩の鑑賞者になったばかりではなく、作り手にもなった社会であったことが、ペルシア語同時代文献史料の記述からは示唆される(注11)。〈釉下藍黒彩掻落鹿文皿〉は、17世紀後半の時点における陶工の語彙・韻文リテラシーをn-i ahl-i ṣuḥbat bādā /hargiz nashavad niʿmat /azīn qāb tahī /harkas kih khurd /tanash ba-ṣiḥat /bādā sanah-ʾi 1088 /この容れ物(qāb)がいつまでも恵みで溢れていますように、[この容れ物が]いつもお喋り仲間に囲まれていますように、この容れ物から得られる恵みが決して空っぽにならず、[この容れ物から食べ物を]食べる人が誰しも健康でありますように。[ヒジュラ暦]1088年[=1677-78年]―552――552―
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