鹿島美術研究様 年報第40号別冊(2023)
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ʿamal-i ʿAlī / 1287」との銘文を有するヴィクトリア・アンド・アルバート美術館(ロンドン)所蔵の釉下藍彩の皿(所蔵番号:1278-1876、寸法:31.1cm)〔図7〕と同一の陶工の作である可能性が高い。陶工名が一致し、制作年が近いことに加え、花卉文の形状や筆致、器形、寸法が類似していることは、このことを裏付ける。III 結び特筆すべきは、このロンドンの皿が、〈釉下藍黒彩花卉文皿〉同様、イランの太守(navvāb)の地位にある人物の注文で制作されたという点である。見込みに施された銘文によれば、この皿は、「太守navvābシャーザーデ・アッバース・クリー・ミールザーの命令[…]farmāyish-i navvāb-i Shāhzādah ʿAbbās Qulī Mīrzā」で制作されたという(注15)。カージャール朝期(1796-1925)のイランにおける現地製の陶器・タイルの注文主として、これまでしばしば言及されてきたのは、当時イラン国内に駐在していたイギリス人ないしフランス人であった(注16)。筆者が知る限り、この時期のイランにおける国内出身の注文主に関する詳細な研究は存在しない。また、カージャール朝期のイランの陶工・タイル工についても、19世紀後半にイスファハーンとテヘランを拠点に活躍したアリー・ムハンマド・イスファハーニーについてのそれを除き、専論がない(注17)。当該時期のイランの陶製品についての研究が手薄である要因の一つとして、イスラーム美術史という学問的枠組みが誕生し、長きに渡りその研究の中心地であった西欧・米国において、近代化を推し進めたこの王朝の支配下で制作された美術が、理想的な「オリエント」らしさを備えたものから逸脱しようとする好ましくないものであると見做され、1990年代後半になるまで等閑に付されてきたことが挙げられる。次年度以降の研究において、〈釉下藍黒彩花卉文皿〉の類例の収集・分析が一層進めば、欧米の収集品に基づいて描かれてきたこれまでのイスラーム陶史研究に一石を投じることができるであろう。本稿では、愛知県陶磁美術館の所蔵するおよび〈釉下藍黒彩花卉文皿〉の銘文を手がかりに、これまでのイスラーム陶史研究においては看過されてきた、陶工の語彙・韻文リテラシーや、陶器の注文主の社会的地位といった問題について議論した。特別展の開催を通じて国内の美術館の収蔵庫や個人コレクションに眠るイスラーム陶の公開が進み、イスラーム陶に対する関心が高まれば、さらなる重要作品の発見に直結することは想像に難くない。次年度は、イラン・イスラーム共和国における陶器・タイル調査を行い、『イスラーム陶史』の内容の充実を図りたい。―554――554―

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