鹿島美術研究様 年報第40号別冊(2023)
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⑤ 19世紀フランスにおける海景画コレクションの形成史に関する研究─ヴェルサイユのフランス歴史博物館のための国家注文を中心として─研 究 者:町田市立国際版画美術館 学芸員  高 野 詩 織1.序本研究では、1837年ヴェルサイユ宮殿を改修し開館したフランス歴史博物館(musée de lʼhistoire de France、以下「博物館」と略記)のための絵画注文を中心に、19世紀フランスにおける海景画の国家コレクション形成史を辿る。これまで19世紀フランスの海景画に関する研究においては、「崇高」の観念を呼び起こす荒々しい海や、「ピクチャレスク」な魅力を備えた漁村、あるいは19世紀後半に流行する海水浴に関わる作品などが注目されてきた。こうした「海の風景画」とも換言できる作品は市民社会の成熟とともに人気を高め、多くの挿絵本や絵画に表されてきた。他方でこの時代は、国家公認の海景画家が公的注文によって大規模な海景画を制作した時代でもある。とりわけ七月王政期(1830-1848)は博物館を飾るために相次いで絵画が注文された時代で、国王ルイ=フィリップの名のもとで海軍公認画家テオドール・ギュダン(1802-1880)は約100点の海景画の注文を受けた。ところが現在では七月王政の公的な海景画コレクションを目にする機会は稀で、海景画の歴史に関する文献で僅かに言及されるに留まっている。テオドール・ジェリコー(1791-1824)の《メデューズ号の筏》(ルーヴル美術館蔵)、クロード・モネ(1840-1926)の《印象、日の出》(マルモッタン美術館蔵)など海を舞台とする名画が次々と生み出された19世紀にあって、国家のお墨付きを得た海景画にはどのような特徴があり、どのように受容されたのだろうか。2.フランスにおける海景画コレクションの歴史最初に、フランス語で「マリーヌ(marine)」と言い表される絵画ジャンル、すなわち海景画の定義について確認する。西洋において海景画は、風景画の一種であると同時に航海術に関わる専門性の高い絵画ジャンルである。16世紀末フランドルで成立したとされ(注1)、フランスでは18世紀半ばから王立絵画彫刻アカデミーの議事録に学術的用語として記されるようになった(注2)。また『ラルース大百科事典』(1873年刊)によると、「マリーヌ」は「航海の技術」「船乗りの軍務」「海軍の軍事力」「国の海軍参謀部」といった海に関わる様々な事物を示す語で、その二次的な字義として「海の主題、海の眺めを表した絵画」が記されている(注3)。―47――47―

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