鹿島美術研究様 年報第40号別冊(2023)
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カロンが「王者の作品」と評したこの蓮燈籠については、同じ形式のものがもう一基用意され、バタヴィアに留め置かれたのち1642年、インド・ムガール朝第五代皇帝シャー・ジャハーンに献呈された(注4)。アムステルダムでの調査成果を含む日光の外交的贈答品については、2023年5月現在校正中の『大日光』所載拙稿にて詳述したが、拙著『富士山絵画史』においては、当時のオランダとアジア諸国の交易、文化交流そして地政学的状況も踏まえつつ、同時代文化史における日光の外交的贈答品について考察を行う予定である。2 国立ライデン民族学博物館ライデン民族学博物館ではまず、安政3年(1856)蒸気船を贈られた返礼としてオランダ国王ウィレム3世へ遣わされた屛風群の調査を実施した。ウィレム3世へは、狩野永悳立信筆「武者図屛風」六曲一双、狩野董川中信筆「富士巻狩図屛風」現六曲一隻、狩野勝川院雅信筆「鷹狩図屛風」六曲一双、狩野董川中信筆「賀茂競馬図屛風」六曲一双、狩野春貞房信筆「四季耕作図屛風」、狩野休清実信筆「墨梅図屛風」六曲一双、狩野雪渓俊信筆「野馬図屛風」六曲一隻、狩野素川寿信筆「墨松図屛風」六曲一双、住吉内記弘貫筆「太平記図屛風」六曲一双、板谷桂舟弘延筆「宇治製茶図屛風」六曲一双の金屛風十双が贈られたが、「富士巻狩図屛風」と「野馬図屛風」のそれぞれ片隻は、ライデン民族学博物館には現在所蔵されていない(「富士巻狩図屛風」の片隻については、エステル・ボエール氏らヨーロッパ側の外交的贈答品の調査グループにより所在が確認されている)。贈蘭屛風群については、すでに榊原悟氏の詳細な研究があるが(『美の架け橋』ぺりかん社、2002年)、拙著においては富士山絵画が含まれた万延元年(1860)遣米使節、及び文久2年(1862)遣欧使節の前例としての歴史的意義を考えるうえで、その比較のための調査を実施した。なおライデン本に施された落款は、「賀茂競馬図屛風」を例にとれば「狩野式部卿法眼藤原中信筆」であり、〈官職+画号+僧剛位+本姓+諱〉の構成となっている。これは4年後に米国大統領ジェイムズ・ブキャナンに贈られた掛幅群のうちのひとつ「富士飛鶴図」と一致する。一方、外交的贈答品としての掛幅群が大量かつシステマティックに調えられたフォンテーヌブロー宮殿本以下の文久2年遣欧使節が持参した掛幅群では、〈官職+画号+僧剛位+本姓+諱〉となっていて、万延元年から文久2年の間で落款の構成に変更が行われたことが想像できる。なお幕末期に欧米諸国へ贈答された絵画の早い例となるライデン本では、朝鮮通信―558――558―

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