使に託され朝鮮国王宛てに贈られた屛風群と近似した画題が調えられている。一方、準備のための時間があり、かつ前々年遣米使節の例を反省的に検証する余裕があった遣欧使節持参の掛幅では、幕府の政治・外交的意図を反映した画題が意図的に撰ばれ組み合わされ、東アジアの盟主としての日本が象徴的に表象されている。すなわち遣米使節持参品と遣欧使節持参品に、オランダ国王に贈られた屛風を合わせ考えることで、外交的贈答品としての絵画制作に関する幕府のスタンスの推移が読み取れるのである。拙著では外交的贈答品における富士山イメージの象徴性を考えるなかで、その政治性についても考察を及ぼし、伝統的な通信国としての朝鮮王朝に贈る作品と欧米諸国に贈る作品の比較も行う。ライデン民族学博物館では、フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトが日本滞在中に収集した絵画作品及び彼の『Nippon』挿図についても、調査を実施した。シーボルト収集品のうち中村轍外『富士之景』は、「第一東海道薩太富士」「第三東海道国津村富士」「第四東海道三保之松原富士」「第五東海道栢原村富士」「第六東海道筥根湖上富士之景」「第七東海道平塚花見橋富士之景」「第八東海道馬入川富士之景」「第九東都永代橋富士之景」「富士春景」「富士夏景」「富士秋景」「富士冬景」からなり、東海道上から遠望した富士と四季折々に姿を変える姿を写したものである。うち「第五東海道栢原村富士」と「第九東都永代橋富士之景」は、『Nippon』挿図と構図を同じくし、その原図となったことがわかる。一方、環境描写を排し四季の富士山をクローズアップする4図は、『冨嶽三十六景』「凱風快晴」などの北斎画にも通じる。シーボルト招来品では谷文晁筆とされる「富士絶頂図」も、『Nippon』挿図に転用された作品である。薄紙に着彩された同作品は、『Nippon』挿図と法量もほぼ同じであり、挿図の原画用として制作されたことも考えられる(注5)。谷文晁は小泉檀山のスケッチにもとづき、頂上にいたる登山の過程を描いた「富士山中真景全図」(静岡県富士山世界遺産センター蔵)も残しており、富士山の頂上をクローズアップした図を自身のレパートリーとしている。シーボルトはそうした文晁に「富士絶頂図」を依頼したのだろうか。シーボルト自身による目録の記述をもとにマーティ・フォラー氏により葛飾北斎筆の可能性が指摘された「日本橋図」は、透視遠近法のなか輪郭線を排し陰影を施した洋風画である。同作品については、シーボルトが出国する翌年から板行された『冨嶽三十六景』のうち「江戸日本橋」と構図を通わせている。―559――559―
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