ライデン民族学博物館ではこのほか、狩野探幽・安信・益信・常信合筆の「四季富士図」や円山応挙筆「富士三保松原図」の調査も実施した。3 フォンテーヌブロー宮殿フォンテーヌブロー宮殿では、エステル・ボエール氏、三浦篤氏、鈴木廣之氏、髙岸輝氏ら調査団により、文久2年(1862)遣欧使節持参品とされた(注6)掛幅10幅を調査した。狩野永悳立信筆「富士春景図」、狩野探原守経筆「秋草に小禽図」、狩野春川友信筆「紅葉に青鳩図」、住吉内記弘貫筆「立田紅葉図」、狩野春貞房信筆「花籠図」、板谷桂意広春筆「秋草に鶉図」、狩野勝玉昭信筆「桜に滝図」、同「牡丹に錦鶏鳥図」、狩野董川中信筆「山水図」、狩野玉圓永信筆「雪景山水図」である。10幅のなかには富士山図も含まれているが、これは「…富士山之儀ハ万国一般ニ仰望仕居候名山之儀ニ付、是又亜国之振合を以各国へも一幅ツゝ御遣し相成候方可然奉存候…」(『続通信全覧』)という、遣欧使節がイギリス、フランス、オランダ、プロイセン、ポルトガル、ロシアに贈る各10幅のうち必ず富士山を1幅ずつ含めよという幕府側の指示を踏まえたものである(注7)。フォンテーヌブロー宮殿本では、“中華皇帝”徽宗の「桃鳩図」にならった「紅葉に青鳩図」や“皇帝の絵画”として認識されていた夏珪の山水図にもとづく「山水図」(注8)、室町殿周辺で享受された孫君沢画と近い「雪景山水図」、伝徐熙「玉堂富貴」(台北故宮博物院蔵)など富貴や豪奢を示す「牡丹に錦鶏鳥図」といったテーマがえらばれ顕在化するとともに、王朝和歌にもとづくようなやまと絵も含まれる。各画題ごとに和漢の別が明確に区別され、全体で春夏秋冬が揃った四季を構成するなど、時間と空間が完結した宇宙観が示され、東アジアに普遍的な徳川将軍の権力と権威が対外的に表象されているのである。こうしたなか江戸城障壁画にも描かれ将軍の身体との一体化としての装置となった富士山図には、徳川将軍そして将軍の統治する日本を寓意する“肖像”的役割が期待されたのであろう。富士山図を含むフォンテーヌブロー宮殿本10幅の画題構成法は、狩野探幽筆「学古図帖」(個人蔵)や「倣古名画巻」(個人蔵)のような一連の倣古図、すなわち徽宗画にならった図を冒頭に置きつつ徳川将軍の御絵師であった狩野探幽様式の富士山を巻末に配し、中華皇帝に淵源する東アジアの文化伝統が集大成され帰結する場とした作品群とも通い合う。倣古図から遣米・遣欧使節持参の掛幅群中の富士山図へと伝えられた富士山の政治的象徴性は、近代にも受け継がれ、天皇の無謬性と不可侵性を示す画題として認識さ―560――560―
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