館本(冊子)などが知られるが、大英博本はここに加えるべき新出の1本である。巻子形式の大英博本は、諸本中もっとも来歴が確かで筆写年代も遡る富士山世界遺産センター本と同様の巻子形式で描写内容も通い、その距離の近さを想像させる。「富岳真図」巻末には、幕府小姓頭取の佐野義行と将軍侍医で考証学にも通じた多紀元簡の名による跋文が付され、制作の経緯が記される。跋文を分析した結果、「富岳真図」には松平定信周辺の人物、とりわけ考証学や復古趣味、和歌などでつながるネットワークが関与していたことが確認でき、翌年に制作され定信の斡旋により家斉の上覧に供された谷文晁筆の登山図「富士山中真景全図」(静岡県富士山世界遺産センター蔵)とも関連する可能性も想定できた。「富士山中真景全図」は水戸彰考館総裁の立原翠軒や同館館員の藤田幽谷らと富士山に登頂した小泉檀山(斐)の登山スケッチにもとづいたことが指摘されており、松平定信そして水戸藩を介した富士登山図の将軍上覧という意味で「富岳遊記」と「富士山中真景全図」を一連の営為と位置づけることができよう。拙著刊行に向け、両者をつなぐ人的ネットワークのさらなる検証と関連する史料の探索に努めたい。一方、将軍上覧を得た「富岳遊記」と「富士山中真景全図」は、少なからぬ写本が作られていることも共通するが、写本群の成立過程や背後の人的ネットワークの検証についても行っていきたい。このほかウィリアム・アンダーソン収集品には、高嵩渓や春木南溟、松本交山など彼が収集活動を行った明治前期の東京ではよく知られながらも、“日本美術史”が確立されていく過程で淘汰されていった画家たちの作品が含まれる点も興味深い。これについては、今後調査を実施するベルツ・コレクションやフェノロサやビゲロー、フリーアなど在米コレクションなどとも比較していく予定である。アンダーソン収集品以外の作品として注目すべきは、横山華山筆・藤波寛忠賛「二見浦富士図」がある。同作は月光の諧調を巧みにとらえた〈富士三保清見寺図〉を自身のレパートリーとした横山華山の筆になり、神宮祭主藤波家出身で下冷泉家出身の季忠の養子となり自家を継承した藤波寛忠の賛をともなう。神宮祭主の賛をともなう同作は、〈二見浦富士〉テーマの定型化を考えるうえで興味深い作品であった。5 ロイヤル・コレクション・トラストロイヤル・コレクション・トラストでは、開催中の展覧会『日本』に出品されていた板谷慶意広春筆「富士三保松原図屛風」を写真撮影とともに熟覧することがかなった。同作は万延元年(1860)にイギリスのヴィクトリア女王に贈答されたもの(注10)―562――562―
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