① ジャクソン・ポロック─その芸術と人生・ミロへの関心報 告 者:多摩美術大学 美術学部 教授 大 島 徹 也本研究「ジャクソン・ポロック─その芸術と人生」は、ジャクソン・ポロック(アメリカ、1912-1956)の芸術と人生を包括的に再考しようとするものである。ここでは、二年度目(2022年度)の研究活動状況の報告を行う。当該年度には、全7章のうち第3章「形成期─モダンアートへの参入」(1942~46年)、第4章「成熟期①─革新の時」(1947~50年)、第5章「成熟期②─新たな実験」(1948~50年)の調査研究および実際の原稿執筆を進める計画だった。しかしながら、第3章に予想以上に時間がかかり、第5章には手が付けられなかった。そのため、第5章は次年度に回すことにしたい。当該年度においては、第3章と第4章の範囲で、報告者がすでに一度過去に取り組んださまざまなトピックについて改めて考察した。そして、過去の自筆の文章を本研究の主旨や流れに合わせて再構成したり、加筆を行った。それらのトピックには、「リー・クラズナーとの出会い」「マティス芸術の受容」「ピカソとの格闘」「オールオーヴァーな構成の展開」「ポーリングの技法の展開」「オールオーヴァーのポード絵画の壁画性」「オールオーヴァーのポード絵画の形式の多様性」などがある。上記のトピックについては、過去に発表済みの自分の論文等において記したこととの重複が必然的に多くなるため、ここではそれらの内容の具体的な記述は省略する。その代わりに、今回自分として新たに考察したいくつかのトピックの中で、特に「ミロへの関心」と「1943年の《壁画》」という二つの問題について報告したい。1942年、ポロックは30歳を迎える。1942年は、ポロックの人生と芸術の両方において、大きな転機となった年であった。前者の面においては、生涯の伴侶となる4歳年上の画家リー・クラズナーとの生活が、その年に始まった。そして後者の面においては、実にそのクラズナーの存在が深く関係しているのだが、同年ポロックは、ライダーやベントンといった自国アメリカの美術やオロスコらのメキシコ美術から影響を大きく受けていた段階を抜け出て、ヨーロッパのモダンアートに強く目を向け始める。―565――565―2.2020年度助成
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