鹿島美術研究様 年報第40号別冊(2023)
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1944年2月の『アーツ&アーキテクチュア』誌に掲載された記事の中でポロックは、「私が最も称賛する二人の芸術家」として、「ピカソとミロ」の名を挙げている(注1)。1941年11月から1942年1月にかけて、ニューヨーク近代美術館では、ミロの初期から1930年代末までの仕事を回顧する個展が開催されていた。ポロックはこのミロ展をある友人と一緒に観に行っている(注2)。ニューヨークではそれ以前にも、ピエール・マティス画廊で何度もミロの個展が開催されていた。そのため、ポロックはそれらのいくつかも先に観ていたことだろう。たとえば、1940年の同画廊でのミロ展を、ポロックはウィリアム・バジオテスと一緒に観に行ったと言われている(注3)。しかしながら、1941~42年のニューヨーク近代美術館でのミロの回顧展は、ポロックに特に大きな印象を与えたと思われる。ミロへのポロックの関心は、そうして1942年の彼の仕事に現れてくる。《月女》に描かれている月女のしなやかな抽象的イメージには、ミロの生バイオモーフィック物形態的な表現が作用しているだろう(注4)。また同作品における非常に流動的で曖昧な空間表現は、以前のポロックの絵画には見られなかったものであり、それは、ミロのそのような表現に触れてポロックが彼の仕事において新しくなしたものと考えることができる。ロバート・コーツは、ペギー・グッゲンハイムの〈今世紀の美術〉画廊で1943年に開催された「若手芸術家の春のサロン」の展評を書いた際、入選作の一点であるポロックの《速記の人物》(1942年頃)に言及しており、その絵画は「奇妙にもマティスとミロの両方を思い出させる」と言っている(注5)。コーツは、そのポロック作品の具体的にどういう点がミロ的なのかはいっさい述べていないのだが、たとえば《速記の人物》に見られる大きな青い背景は、よく知られているように、ミロが1920年代後半にしばしば用いていたものである。そして、《速記の人物》でポロックが描いた怪物のような女性像は、ミロ特有のグロテスクな生き物のイメージと通じるところがある。また、《速記の人物》でポロックが行っている文字や記号の書き込み(あるいは、カリグラフィックな線描)は、ミロが画面に文字を大きく書き込んだ《ハンター》(1923~24年)や《星が黒人女の乳房を愛撫する(絵画=詩)》(1938年)のような作品をコーツに思い起こさせたのかもしれない。1943年にポロックが制作した《無題(レッド)》と《無題(ブルー(モービー・ディック))》という二点の水彩画は、ミロに対するポロックの傾倒をより顕著に示している。《レッド》におけるシャープな輪郭線によるいくつかの色のバイオモーフィックで平板な形態の組み合わせや、《ブルー》における全面的な青い背景の設定、およびそこにさまざまな形象が浮遊する様は、いかにもミロ的である。また、1946年の《無―566――566―

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