本研究のテーマである国家コレクション形成という観点においては、多様な「海の主題」のなかでも特に、港の繁栄を示す景観図や、国政に関わる海戦の主題が重要な地位を占めていた。こうした海景画の例として著名なのは、クロード・ジョゼフ・ヴェルネ(1714-1789)の「フランスの港」連作であろう〔図1〕。ヴェルネはアカデミー正会員となった1753年に、国内20か所の港の景観を描くようルイ15世の名のもとで命じられた。注文の規模の大きさゆえにこのシリーズは未完に終わったが、彼の15点の海景画は、19世紀初頭からリュクサンブール美術館等で飾られて長らく海景画の模範となった。フランス革命後もヴェルネ門下のジャン=フランソワ・ユー(1751-1823)やルイ=フィリップ・クレパン(1772-1851)らがナポレオン1世やシャルル10世の治世に大作を手がけてきた〔図2〕。対イギリスの海戦が激化した時代にあって、頻繁に描かれたのはフランスに勝利をもたらした戦闘や、統治者の港への上陸に際して行われる式典である。海景画家たちは時に海軍と行動を共にしており、1830年のアルジェリア出兵に従軍したクレパンとギュダンは、同年にフランス海軍の公認画家にも任命されている。3.フランス歴史博物館における「海事の間」の設置七月王政期のフランスでは、それ以前の治世よりも幅広い年代・地域の出来事をテーマとする海景画が数多く制作された。その転換点となったのは、ヴェルサイユ宮殿を改修して1837年から公開を開始したフランス歴史博物館のための大規模な絵画注文である。フランス革命以後王宮としての機能を失ったヴェルサイユ宮殿の活用については、取り壊しや美術館、学校、病院としての再利用などが検討されてきた(注4)。博物館として改修する案は、1833年にルイ=フィリップが決定したものである。内務大臣モンタリヴェの報告書によると、国王の望みは「ヴェルサイユが歴史の記憶の統合をフランスに示し、我が国の全ての栄光の記念碑がそこに設置され、ルイ14世[の旧住居であるヴェルサイユ宮殿]の壮麗さで包み込まれること」(注5)にあった。5世紀のフランク王国建国から19世紀までの歴史を網羅する壮大な計画は、七月王政期の中庸政策の表れでもある。つまりルイ=フィリップは、長らくフランス国王の座にあったブルボン家の歴代国王、ナポレオンを支持するボナパルティスト、そして自らが当主であるオルレアン家という3つの対抗勢力の統合をここで図ったのだった。1837年6月10日の博物館開館に合わせて披露された「戦争のギャラリー」は、同館―48――48―
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