鹿島美術研究様 年報第40号別冊(2023)
582/604

は「馬の集団暴走」を抽象的に描いたものであると断定することは、できない。分かるのは、この絵の構想段階で、大暴走する馬の群れのイメージがポロックの頭の中にあったということまでである。実際問題として、この絵において反復されているモチーフは、走っている馬というよりは、歩いている人間のように見える。)あるいは、ネイティヴ・アメリカンの芸術がポロックに与えた影響についての専門的研究をなしたW・ジャクソン・ラッシングは、《壁画》はココペリ(ホピ族などにおける豊穣の神。猫背でフルートを吹く姿でよく描かれる)と、それに誘惑されて付いていく女たちの長い列を表現したものであると考えている(注12)。《壁画》でポロックが反復的に描いた人間のような像の正体が何であれ、「オールオーヴァーな構成」という問題に関してここで興味深いのは、それらの一群の像が、画面の外から画面の中へと入ってきて、そして画面の外へと抜け出ていく動きをしているように見えることである。それらの像は、列をなして皆右から左へと進んでいるようにも、あるいは、左右に行き交っているようにも見える(ポロックは、この作品が設置されるエントランスホールという場の特性を意識して、そのようなイメージを描いたのではないだろうか)。いずれにせよ、それによってこの絵の画面は、その枠を超えて横方向に拡張していくような印象を、観る者に与える。ポロックが仮に自分で望んでも自発的には着手できなかった巨大な画面を他者(ペギー)からたまたま与えられた際、そのような感覚を持ったオールオーヴァーなイメージが(初期の《オーヴァーオールな構成》後再び)現れたというのは、注目に値する。《壁画》のオールオーヴァーな画面の拡張的な性質は、観者が通常の大きさの一枚の絵を観る時の距離では一気に全体を把握することはとてもできないほどこの絵が巨大であることによって、いっそう強まっている。ところで、《壁画》は文字通りの「壁画」ではなく、キャンバスを支持体としている(ペギーは当初ポロックに、エントランスホールの壁に直接描かせることを考えていたようであるが、転居する時にその絵を捨てずに済むようにキャンバスに描いてもらった方がよいという助言をデュシャンから受けて、ポロックにそのように注文したという(注13))。ここで思い出されるのが、ポロックがオールオーヴァーのポード絵画を確立することになった1947年に、グッゲンハイム研究奨励金の申請のために作成していた、次のステートメントである。 私は、イーゼルと壁画の間で機能する移動可能な大絵画を描くことを意図している。私はペギー・グッゲンハイム女史のための大絵画で、このジャンルの前例―570――570―

元のページ  ../index.html#582

このブックを見る