鹿島美術研究様 年報第40号別冊(2023)
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注⑴ Jackson Pollock, “Jackson Pollock,” Arts & Architecture 61, no. 2(February 1944): 14.⑵ Paul J. Karlstrom, “Jackson Pollock and Louis Bunce,” Archives of American Art Journal 24, no. ⑶ Tatiana Cuevas Guevara, “William Baziotes: Chronology,” in William Baziotes: Paintings and 2(1984): 27 n. 18.⑷ゲイル・レヴィンは、その月女の「スティック・フィギュア」(棒状の人体像)的表現は、1941~42年のニューヨーク近代美術館でのミロ展に出品されていたミロの《ダンサー》(1935年)のような作品に見られるスティック・フィギュアに疑いなく由来すると言っている。Gail Levin, “Miró, Kandinsky, and the Genesis of Abstract Expressionism,” in Abstract Drawings, 1934-1962, by Michael Preble et al. (Milan: Skira, 2004), 121.をなしている。[……] 私は、イーゼル画は廃れつつある表現形式だと考えており、現代的な感性は、傾向として壁絵ないし壁画へと向かっている。イーゼルから壁画へと完全に000移行するには、機はまだ熟していないと思う。私が描こうと考えている絵は中間の状態に当たり、未来の方向を、そこに完全には到達することなく指し示す試みとなろう(注14)。イーゼル画とは、具象的なものであれ抽象的なものであれ、また、その物理的な大小にかかわらず、現実世界から分離した別の一つの小さな自律的世界であるとすれば(額縁を付けられ四辺を囲い込まれたイーゼル画は、特にそうである)、ポロックは1947年、そのような伝統的なイーゼル画の枠組みを超え出て拡張し、壁画へと向かう、しかし現実世界の建築物の壁面に直接描かれる純粋な壁画でもない、その中間領域にある新しいタイプの絵画を、モダン・アーティストとして生み出そうとしていた。その企図は《秋のリズム:ナンバー30, 1950》や《One:ナンバー31, 1950》(ともに1950年)のようなオールオーヴァーのポード絵画において完遂されることになるが、上に引用したステートメントで自ら述べているように、1943年の《壁画》という巨大でオールオーヴァーなキャンバス画の制作は、「イーゼルと壁画の間で機能する」ということに関して、成熟期のオールオーヴァーのポード絵画にとっての非常に重要な一つの先行経験となるのだった。次年度は、研究期間としては最終年度となる。残りの第5章「成熟期②─新たな実験」(1948~50年)、第6章「後期─黒の絵画」(1951~52年)、第7章「晩期─苦悩の中で」(1953~56年)の原稿執筆を鋭意進めてゆきたい。―571――571―

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