ルマイヤがウィーン大学で行った講義の準備草稿である。そこで、ゼードルマイヤは「美術史における国民社会主義(Nationalsozialismus in Kunstgeschichte)」を宣言する文章を書いている。社会主義他方、芸術家は、共同体が彼に課し、彼がそこから逃れることのできない課題に直面する。これらの仕事は外的な目的だけでなく、内的なものでもある。教会を建てるのではなく、たとえば、ドイツ教会堂のような、わたしたちの教会観に基づく資質を備えた建築物が時代の要請なのだ。(注6)共同体のための教会建築はまさに「社会主義」にふさわしい。それも、単なる教会堂の建立ではなく、ドイツ民族の内面性に根ざした教会こそが、「国民社会主義」の芸術なのであるというのがこの宣言の主旨である。大聖堂は単なる歴史遺産であることをやめて、当時の政権によってことごとく政治化されることになった。ナチスの文化政策においてウィーン大学「美術史研究所」を率いていたゼードルマイヤが果たしていた役割については、ここではこれ以上詮索しないが、複数の先行研究がそのことに説得的な証言を与えている(注7)。ただ、そのような実務上のイデオロギーとの結びつきをもって、そのままゼードルマイヤの研究も政治化されていたと結論づけるのは早計であろう。次節では、彼の大聖堂論がいかなる歪みをもつものであるのかを学術的な議論に即して見ていくことにしよう。天井のエルサレム、あるいは光のゴシック建築『大聖堂の生成』は、過去百年にわたって蓄積されてきた大聖堂研究の成果を総合し、政治・宗教・芸術といった多方面から大聖堂の生成・継承・衰退を解明する果断な試みであった。この書で展開された、もっとも先鋭的、かつ論争を呼んだ主張は、ゴシック大聖堂を「模像芸術(abbildende Kunst)」とみなすというものである(注8)。すなわち、教会堂はキリスト教の天国をあらわし、そのイメージを写し取っているというのである(以下、これを簡潔に「模像説」と呼ぶことにする)。ゼードルマイヤも確認しているように、四世紀、初期キリスト教のバシリカにおいてすでに教会堂建築は天の都と同一視されていた(注9)。言うまでもなく、その典拠となっているのは『ヨハネの黙示録』における「天上のエルサレム」の記述である。ゼードルマイヤはそれに加えて、教会堂献堂式に歌われた聖歌や一二、一三世紀の宗教詩をも―580――580―
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