「真に歴史的な目標」は、シュジェの眼でもって眺められていた光景を再現し、みずからも体験することである。光の美学は、過去から現代によみがえってきた大聖堂の「イメージ」に触れたときに感じる現代人の高揚した体験をも指していたのではなかっただろうか。『大聖堂の生成』は一冊の研究書でありながら、崩壊の危機に陥っていた大聖堂をイメージとして建てなおすという使命を背負ったひとつの作品であった。この書物のまえがきで、著者は大聖堂についての来たるべき認識を、中世の工匠たちの仕事に比して、読者を巻き込んだ共同作業であると述べている(注14)。書物のなかに立ち現われてくる大聖堂のイメージは、模像のもつ上昇運動の効果にも似て、読み手をここではないどこかへと連れ出す。すでにそれは天上の聖なる空間への跳躍ではないかもしれないが、世俗的な現実から抜け出す歴史的な超越ではあった。これこそが、ゼードルマイヤが一冊の書物を掛けて夢想し、探求したものであった。その際に、過度に理想化されたゴシックの姿が作家の脳裏を横切っていたのは言うまでもない。ゼードルマイヤが築いた「大聖堂のイメージ」はいまなお不気味な光をたたえながら、変革の瞬間を待ち望んでいるのである。ぎないものにするのである。シュジェのテクストに結晶化していた「光の神秘主義」は、パノフスキーにとっては美術史的な関心の対象以上のものではなかったが、『大聖堂の生成』にあっては、もはやそれにとどまるものではない。大聖堂をそれの建設者の眼で、シュジェの眼で、彼の建築家の眼で、見ることは、真に歴史的な目標である。(注13)おわりにここまでの議論を振り返っておこう。第一節「イデオロギーに染まるゴシック」でゼードルマイヤがゴシック建築に着目することになった経緯とその社会的背景を論じ、第二節「天井のエルサレム、あるいは光のゴシック建築」で彼の『大聖堂の生成』で展開される議論を軸にその要点を確認してきた。第一節で確認した政治的な傾向が、『大聖堂の生成』における彼の大聖堂を理想化する叙述に反映されていたことが理解できたように思われる。すなわち、ゴシック大聖堂を模像(イメージ)としてとらえ、それを神秘的な体験の契機とするゼードルマイヤの主張は、近代の行き詰まりを憂慮し、中世に理想を求める一九二〇年代に昂揚する「中世主義」の一種のヴァリ―582――582―
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