鹿島美術研究様 年報第40号別冊(2023)
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公的コレクションは急増し、絵の主題も多様化していく。「海事の間」の設置前後における海景画コレクションの変化を明らかにするために、報告者はフランス国立文書館で調査を実施した。それによって入手した1837年8月4日付の資料では、この部屋で展示予定だった作品の主題と、その収集状況がリスト化されている〔図8〕。同資料に従うならば、この時点で「注文・制作済」とされた45点のうち半数以上の29点が1830年代に制作された作品であった。制作に関わった画家は計16名で、最多の18点を手がけたのはクレパンのアトリエ等で海景画を学んだピエール=ジュリアン・ジルベール(1783-1860)である。しかし2年後の1839年3月、同リストで「要注文」とされた画題を含む96点の海景画の注文はジルベールではなくギュダンが受けることになる。ボンファンティの調査によると、1839年時点で「海事の間」の展示予定作品は計137点にも及び、完成作品はそのうちの3割程度に留まっていた(注12)。つまりこの一括注文を契機に、七月王政期における海景画の公的注文はギュダン一人に集中していくのである。先述の《ウェサン島の海戦、1778年7月27日》は、この注文に基づいてギュダンが制作した最初の作品の一つである。ギュダンは現在では言及される機会も少ない画家だが、19世紀フランスにおいて歴代統治者の命を受けて数々の大画面作品を手がけ、数多くの弟子を輩出した海景画の大家である(注13)。ギュダンは青年期にアメリカ海軍で漁船の監視業務を経験し、1822年以降に画家に転身した(注14)。新古典主義の様式から脱却してロマン主義を先駆けた画家アンヌ=ルイ・ジロデ=トリオゾン(1767-1824)に学び、海景画家としてすぐに頭角を現して1830年に海軍公認画家として任命された。同時代のロマン主義絵画の影響を受けながらも「航海の思い出とジョゼフ・ヴェルネに抱く愛着」(注15)にも裏打ちされたというギュダン作品の特徴は、色彩的な風景表現や船舶の写実的な描写にあった。1830年代初頭からギュダンとルイ=フィリップは極めて良好な関係にあったため「海事の間」の絵画注文には私情も挟まれていたと推察されるが、それ以上に重要と思われるのは、ギュダンの制作スピードの速さである。19世紀末に博物館の館長となったノラックは、ルイ=フィリップがギュダンの「迅速に描く点」を好んでいたことを伝えている(注16)。実際、ギュダンが海景画を量産したことで「海事の間」を飾る作品は年を追うごとに増加していき、1841年の案内本では同展示室の海景画は80点とされている(注17)。さらに1854年に初めて刊行された博物館の全作品目録で「海事の間」の海景画は130点を数え、そのうちギュダン作品は計60点と展示作品の約―50――50―

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