鹿島美術研究様 年報第40号別冊(2023)
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の詳細な比較検討がなされた。予期せぬ結果としての作品ではなく、落下の瞬間から最終的な静止へと至るまでの時間と空間、そこに生まれるダイナミズムの諸相に目を向けるスタントン氏の発表は、彼らの作品制作における重力の働きを、作り手の意志と偶然による支配の創造的な対立の駆動と捉える興味深い試みであった。続くエルドージ氏の発表「コントロール及び服従としてのケア:ジェラルド・オルティン『オオカミの尿』(2017)に見る保護管理の政治学と生物多様的景観(Care as Control and Surrender: The Politics of Care Management and the Multispecies Landscape in Gerard Ortínʼs Wolf Urine [2017])」では、スペイン・バスク州アラバを走る主要道路沿いの景色を撮影したバルセロナ出身の映像作家ジェラルド・オルティン(注1)による写真連作が取り上げられた。タイトルであるオオカミの尿は、連作を構成する各写真の中央部分、木や茂みに紛れて設置されたプラスチック容器に入れられている。その匂いで野生動物を車道から遠ざけ、車両との接触や衝突を回避するのが目的である。人間と野生動物の遭遇は、後者の保護管理の名のもとに忌避される。他方、その人間中心的なコントロールは、捕食者の存在を嗅ぎとる動物の鋭い感受性抜きにはなし得ない。エルドージ氏曰くオルティンの連作は、コントロールされる側の感覚的現実が支配する現場を記録することで、人間と野生動物の一方的な主従関係の再考を促す。同時に氏は、各写真における容器の極端な見つけづらさが、尿臭の明確な影響力と対比されることで、西洋思想における視覚の優位性が揺さぶられる可能性も指摘した。セッションは後半に入り、スクリーンには突如、アンディ・ウォーホル(Andy Warhol, 1928-1987)、デュシャン、そして草間彌生による芸術談義が映し出された。フラナガン氏とマゴフ氏の発表「創造のスキャンダル:芸術制作における生成AIと偶然性の手法(Scandals of Creation: Generative AI and Chance Operations within Artistic Production)」の冒頭で流れたこの映像は「ディープフェイク(deepfake)」(注2)動画であり、アメリカのSF作品『スタートレック』シリーズに登場するキャラクター(データ、ジャン=リュック・ピカード、ガイナン)に「扮した」3人が滔々と語る姿は滑稽であった。フラナガン氏とマゴフ氏はさらに、画像生成AI「Stable Diffusion」のカスタムモデルとして蘇らせたフランシス・ピカビア(Francis Picabia, 1879-1953)による即興的な「作品制作」を発表と並行して披露(注3)。今日のAI技術が可能にする自動的かつ瞬間的なイメージ生成の現実を強く印象付けた。こうしたモデルが際限なく生み出すランダムなイメージを前に我々は、創造性とは何かを改めて問われる。ダダやシュルレアリスムの時代、伝統的な意味でのそれを刷新―588――588―

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