鹿島美術研究様 年報第40号別冊(2023)
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対し、後者は背景にあたる空や海に目が向けられたという点で異なる。1839年の出品作《ドエルの戦い、1832年12月23日》〔図10〕は、暗雲の合間から見える黄色がかった空や広大な海の風景の中に小さな人物や船舶を配したギュダン作品の典型例である。『両世界評論』において本作は「冬の空とフランドルの風景を、見事に忠実な色彩で表現している」(注20)と評されると同時に、ぎこちなさの残る狙撃兵は「ヴェルネ氏に手直ししてほしかった」(注21)と非難された。他方でギュダンの公認画家としての立場を慮った批評は、彼が注文画制作のために才能を費やしていることを同情する論調であり、1844年の『ル・ジュルナル・デ・ザルティスト』誌の批評には「この素晴らしい才能が、装飾、特に海景画の製造のために売られているのは、何とも残念なことだ(注22)」と綴られた。ギュダンと比較されたオラース・ヴェルネ自身も、ギュダンが1834年に制作した《ル・アーヴルの眺め》(パリ国立造形美術センター蔵、国立海事博物館寄託)を目にし、以下のように述べたとされる。なんという差だ!私が《トランペット奏者の馬》(…)等を描いた時には、主題やモティーフが成功に大きく関わっていた。(…)しかし、ギュダンは!彼にとっては、海の壮大さ、華麗さ、恐ろしさ、不滅の詩情に鈍感でない人なら誰しもを感動させ、魅了する魔法の効果を得るために、浜辺と波と空と水平線さえあれば十分なのだ。王党派であれ革命派であれ、武闘派であれ平和主義者であれ、軍人であれ農民であれ、人々は必ず彼を称賛することだろう(注23)ここでヴェルネは、公認画家ではなく一人の海景画家としてギュダンを評価しようとしている。特定の主題にも注文者によらず純粋な海の風景で評価される画家として、彼の才能を伝えたのだった。このように七月王政期の批評家たちの間では、ギュダンの本領は、歴史的出来事ではなく風景の描写において発揮されるという共通認識があったようである。「人民のための芸術」を唱えた批評家テオフィール・トレはそうした論者の一人で、1844年のサロン評に「ギュダン氏は、研究と内省によって才能を発展させることよりも、手っ取り早い財産を手に入れることを好んだ」(注24)と綴った。彼らの認識は、ギュダンが注文によらず制作した海景画の美しい外光表現を目にすると、決して間違いではなかったと思われる。国家権力と結びついた海景画という絵画ジャンルは、その誕生直後から絶えず政治性と芸術性の狭間を揺らいできた。上述のギュダン評では、そう―52――52―

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