詳細に写し取られている〔図4〕。足が紐で結ばれ、止まり木にいるこのフクロウは、実際の鳥猟に使用された囮を指し示している。鳥狩りにおいて囮にフクロウを使用する手法は、狩猟書の彩色写本や、鳥の狩りに関する17世紀の出版書などにもその様子が詳しく表されている〔図5〕(注10)。生きたフクロウを囮として止まり木につないでおき、追い払おうと寄ってきた鳥たちを、粘着剤(日本でいうところのトリモチの類)をつけた枝や仕掛け棒によって捕まえるというものである。鳥や鳥籠、鳥狩りにおける囮や罠には、男女の性愛になぞらえる文学上のアナロジーが古来より存在し、聖書の言い回しにも登場している(注11)。鷹狩りの場合、獲物の心臓をハヤブサに褒美として与えるという習慣から、その行為に見立てて恋する人にハート型の心を差しだす姿が、宮廷風恋愛の情景としてタペストリーや彩色写本にたびたび表される。それにたいして、美術においては網を使用した仕掛けや囮のフクロウといったモチーフは、より低俗な愛や直接的な行為を暗示する際に利用されている(注12)。16世紀後半から17世紀初頭にかけてヴェネツィアで活動した版画家ジャコモ・フランコによる〈恋人たちの罠〉では、鳥や狩人を別のものに変えることで性的な誘惑の表現に結びつけている〔図6〕(注13)。そこでは、フクロウの囮としての役割が裸の女性で表され、足は紐で結ばれ、止まり木の台に結わえ付けられている。おびき寄せられる鳥の方は、頭部が男性の顔に挿げ替えられ、罠を仕掛ける狩人の代わりをサテュロスが務めている。右隅にいるサテュロスはロープを振って、鳥/男性を招き寄せてもいる。ヴェンドラミン・スケッチの黒人女性とフクロウは、こうした鳥猟と誘惑のアナロジーに一捻り加えたものと考えられ、その趣向はスケッチ右側の老女の姿と共通している。ヴェネツィア美術において、黒人女性は貴族の女性や女神たちの引き立て役のようにしばしば描かれており、偏った典型的な見方はこのスケッチでも繰り返されているようだ(注14)。不似合いなものとして老女が弦楽器を持っているとすれば、黒人女性はフクロウのような囮ではない事を示している。このスケッチは不調和な状態をテーマとしており、笑いをまじえて風刺的に描くことへの関心が見られる。このスケッチがどのように受容されていたのか、当時の感覚をさぐる史料に、17世紀フランスの修道士ミシェル・ド・マロールによって蒐集された版画アルバムがある。このアルバムは滑稽な主題をテーマに、16世紀から17世紀前期に制作された版画がおさめられ、そこには老女による弦楽器の演奏を揶揄するような銅版画がみつかる。フランス・ハイス作〈リュート店〉や、フランソワ・ラングロワによる銅版画〈魅力的なオルフェウスと美しきエウリュディケ〉(リュカス・ファン・レイデン作―61――61―
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