2.2甬道南壁(五代)『内容総録』には甬道南壁に五代の供養比丘3体が描かれている、とある(注7)。題記は第2身と第3身のものが残っており、これらから第2身と第3身が出家であることを確認することができる。[甬道南壁 第2身]故兄……僧政□(知)□(三)□(窟)……闡揚三教大法師賜紫沙門善才供養[同 第3身]の通りである。以下、本稿において題記を示すとき、まず『敦煌莫高窟供養人題記』の移録を示し、これに実線による傍線を引いた文字は、筆者による実地調査時にもなお文字が判読可能であったものを、点線による傍線は、文字の一部が判別できるものを、波線による傍線は、確定に至らないものを指している(注6)。[主室東壁南側 初唐供養者列像 南向き第1身]孫女佛□(力)一心供養特に「孫女」字はきわめて保存状態が良い。『供養人題記』が□(力)と表記するのは、□の位置に入る文字は、あるいは「力」字か、の意味である(以下同様)。[同 第3身]孫女大力この題記はひときわ小さな字で書かれており、これは年齢が低いことを指していると思われる。同窟内で初唐期の題記が残っているのはこの壁面のみである。この題記に見える善才という僧侶については土肥義和氏の研究がある。氏によると知三窟とは「燉煌仏教教団の諸寺から派遣されてくる坐禅僧を莫高窟で迎え、彼らを教導する専門僧」すなわち住三窟禅師であり、俗姓張氏で霊図寺の僧である(注8)。土肥氏はこのことから、同窟を五代張氏窟と名付けておられる(注9)。次の甬道南壁第3身題記は、右起首で書かれていることを現地で確認した。□(故)……供奉大徳兼…………管内釈門都……なお、この甬道南壁西端は五代に塗り重ねられる前の壁面が割れ目から見えており、次のように『供養人題記』に移録された全文字を現在も確認することができる。[甬道南壁夾墻内 墨書供養人題名]其窟壹龕索都頭翟押衙二人同修記土肥氏は『燉煌氏族人名集成』に索都頭と翟押衙の二人の人名を収録している(注―78――78―
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