[同 第16身]新□(婦)五娘子……一心供養[同 第17身]新婦五娘子□……供養[同 第18身]新婦……[同 第19身]新婦四娘子□氏一心供養[同 第10身]孫……清信……善□一心供養[同 第11身]孫……[同 第12身]從孫……清信佛弟子……[同 第13身]從□(孫)……一心供養[同 第14身]從孫……清信佛弟子□□一心供養[同 第15身]□(從)……養[同 第16身]「從孫……□(主)清信……」2.5主室北壁下部(五代)供養者像第1身の題記は確認されていないが、この供養者は出家僧ではなく在家信者であることは分かる。[主室北壁 五代供養者列像 西向き第2身]〔図8〕故……銀青……この題記は現状では既に全く確認することができなかったが、供養者像は服飾や幞頭がはっきりと確認できたため、描起こし図を示す〔図9〕。以下、同壁の供養者題記に対する調査結果を列挙していく。[同 第4身]……銀青光禄大夫[同 第6身]孫……[同 第7身]孫□(子)主……[同 第9身]……主……この第9身供養者像は幞頭と手首の辺りを確認することができた。この行は「従」「孫」以外は現在確認が難しくなっているが、途中に人偏が見える。『供養人題記』が「佛」と移録している文字は、実際には「仏」である。『供養人題記』は移録していないが、「……」の部分に「大」字が見える。以上より、次のことが分かる。創建当初の初唐期の供養者像及び題記としては主室東壁のみに残っていること。その他の壁面には重修時の五代の供養者像と題記が数多く残されていること。重修時の施主は甬道北壁第1身供養者であること。向かいの甬道南壁西端には、甬道が塗り重ねられる前の壁面と思しきものが割れ目から見えてい―81――81―
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