鹿島美術研究様 年報第40号別冊(2023)
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ること。主室南壁には女性供養者列像が描かれており、先頭の4体は尼僧、第5身以降は在家女性供養者であること。4体の尼僧のうち3体は普光寺の尼僧であることが題記より判明すること。主室北壁の男性供養者列像の先頭は出家ではなく在家であること。第2身は故人であること。第6身以降は孫そして従孫と続き、長幼の序が守られ血縁関係の近い方から順に並んでいることがわかる。なお、先学の研究成果を踏まえると、重修時の供養者列像全体の先頭は甬道南壁第1身である(注17)。3.柄香炉を捧げ持つ阿闍梨像と供養者像の配列をめぐる考察筆者は主室南壁下部の供養者列像のうち第1身の阿闍梨像に注目した〔図4〕。それは、供養者題記が「故」字で始まり、故人であることが分かるうえ、「普光」との寺名も確認でき、在世の者よりも序列が上にある尼僧であることが分かるからである。現状では画面は風化が進み、軽うじて尼僧であることがわかるものの、詳しく図像の復元を行うために、敦煌研究院に依頼して当該壁面の画像を提供して頂いた。そして画像処理によって壁面の汚れと壁画の線描と彩色および題記の文字を区別していき、描起こし図を作成したところ、次のことが判明した。まず尼僧は手に柄香炉を捧げ持っているのが分かった。香炉には台脚があり、柄の先は炉に接合しているようである。この柄香炉には蓋がついており、そして蓋の上部から煙が出ている。和泉市久保惣記念美術館に収蔵されている響銅亀形盒柄香炉(唐~北宋時代)は、炉の口縁に蓋がついていた形跡があり〔図10〕、同窟普光寺阿闍梨像の柄香炉と同様であり興味深く思われる(注18)。また蓋の上部から煙が出ているさまは、莫高窟第217窟主室東壁北側の洪認像(10世紀前半)が捧げ持つ柄香炉にも見られ〔図11〕、同時代の資料としても興味深い(注19)。次に題記中の文字を書起こすにあたり、先入観を排除するためペリオの記録を事前に見ずに作業を行ったところ、「故尼普光‥‥闍梨」と、ペリオと同様に末尾に阿闍梨を意味する「闍梨」の文字を見出すことができた〔図4〕。この同窟主室南壁下部女性供養者列像第1身の尼僧は、既に亡くなった普光寺の阿闍梨であることがわかる。阿闍梨は弟子を教導する師匠であり、戒を授けることができる。筆者はこのような阿闍梨が持物として柄香炉を捧げ持っていることに注目した。それはかつて莫高窟第217窟の供養者像について考察した際に、主室西壁仏龕下部の男―82――82―

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