鹿島美術研究様 年報第40号別冊(2023)
93/604

子供養者列像の先頭が比丘形であり、かつ柄香炉を手にしていたからである(注20)。また敦煌帰義軍時代の供養者像の持物を考察した赤木崇敏氏の論文の中で柄香炉への論及があったからでもある。筆者は持物としての柄香炉にはどのような意味と機能があったのかについて興味を抱いた。この阿闍梨は、同窟重修時の供養者列像全体の先頭ではないが、当該壁面の供養者列像の第1身であり、その後方には在家女性供養者が並び、このことは柄香炉の意味と機能を考える上で重要ではないかと考えた。そこで筆者は二つの仮定を想定した。第一は、主室南壁下部は、阿闍梨が柄香炉を手にして在家女性信者たちを先導している情景を表している。第二は、柄香炉には、仏前で香を焚き仏に礼拝するという実際の用途のほかに、供養者の中で位の高い者が手にする、そういう序列を象徴するものとの意味がある。これらについて以下に考察したい。第一の仮定について。普光寺は李正宇氏の研究によると、敦煌城西北の宜秋西支渠付近にあった尼寺であり、晩唐には190人の尼僧を擁していた(注21)。また同寺には方等道場(戒壇)が設けられていたことを語る敦煌文献もある。それはS. 2575である(注22)。それでは出家と在家の供養者が共にあらわれる主室南壁下部の供養者列像は何らかの法会の情景を表したものなのだろうか。第一の仮定を考える際に重要であるのが、同窟甬道北壁の施主像である〔図2〕。この施主像は柄香炉を手にして本尊の方に向かって立つ姿に表されている。在家信者が柄香炉を手にする場面というのはどのような時だろうか。そこで現代の仏教の状況を伺うべく真言宗豊山派の田戸大智氏、孤島泰凡氏に伺ったところ「柄香炉は主に導師が諸作法で使用するもので、在家信者は(儀式の中で)手に取ることはない。あくまでも僧侶が儀式の中で使用する法具として認識されている」とのことだった(括弧内は筆者による補筆)。また『新纂浄土宗大辞典』によると、僧侶の役職である先進について、次のようにある(注23)。「導師大衆などを誘引する僧の役職名。堂内の法要が始まるとき、集会所で序列(席次)を決め、(中略)先頭に立って引鏧を適宜に打って導師大衆を先導する。(中略)②落慶式・晋山式などの堂外で行列を組むときは、先進が柄香炉を持ち、または洒水をしつつ行道をする。」(傍線筆者)一方、儀式の場面ではなく、在家信者が仏の像の前で香を焚くことは通常に行われ、香炉を持して仏前へ置くことは多々ある。たとえば『法苑珠林』巻24には『冥祥記』の説話として、宋の費崇先の話が収められている。―83――83―

元のページ  ../index.html#93

このブックを見る