鹿島美術研究様 年報第40号別冊(2023)
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「宋費崇先者,呉興人也。少頗信法。至三十際,精勤彌篤。至泰始三年,受菩薩戒,寄齋於謝惠遠家。二十四日、晝夜不懈。毎聽経,常以鵲尾香鑪置膝前(後略)。」(傍線筆者)(注24)すなわち泰始三年(267)菩薩戒を受けた居士費崇先は昼夜怠ることなく経を聴くときに常に鵲尾形柄香炉を膝の前に置いていた、とある(注25)。これらのことから、古来より仏教美術作品に表されてきた在家信者が柄香炉を持して仏に礼拝する様は、儀式の中の所作ではないと推測される。なお、上記はあくまで現代の仏教における様子であり、同窟が重修された10世紀の状況に当てはまるのかについては今後の課題とし、以後儀式の問題に注意を払っていきたい。このように、同じ洞窟の中で在家供養者が柄香炉を手にしている様が描かれている以上、主室南壁下部を何らかの儀式における所作を表していると考えるのは無理がある。そこで第二の仮定について考えてみたい。まず莫高窟の供養者列像の性質についてであるが、莫高窟の供養者像にはその名前や肩書きを示す題記を脇に書く枠であるカルトゥーシュが付されている。カルトゥーシュの中に書写される題記の末尾にはしばしば「一心供養」の文言が見られ、同窟主室南壁にもこの文言が見られる。そのため、柄香炉を捧げ持つ南壁下部第1身普光寺阿闍梨像も、仏に香華などを捧げ供養をする姿であることが分かる。そして列像における各像の並び方であるが、柄香炉の作例としてしばしば参照される鞏県石窟寺第4窟南壁西側の礼仏図は、まさに群像形式で描かれており、その先頭が柄香炉を持っている(注26)。この礼仏図はその群像で一つの行動をとっているさまに表され、その群像を柄香炉を手にする先頭が率いている。一方の敦煌の供養者列像は、1体ずつ寄進者の肖像を規則に従って配置しているとの感がある。その規則は、しばしば親族呼称と関係があり、長幼の序が守られ、血縁関係の近い方から遠い方へと並んでいる。そのため具体的に共に何かの行動をなした集団を表しているのではなく、先学の指摘にあるように序列を表しているのではないだろうか。そのような序列を表す列像の先頭の人物が、在家であれ出家であれ柄香炉を手にしていることについてであるが、赤木崇敏氏は、帰義軍時代の敦煌石窟において、「節度使やその子弟は、その序列に応じて手に執るものが異なっており」、最も高位にある者が柄香炉を手にしていることを指摘した(注27)。さらに張先堂氏は、晩唐以前は莫高窟の供養者列像は仏を中心に配列されていたが、晩唐から宋代の初めになると、節度使を中心として配列するという変革が起きたと述べている(注28)。このこ―84――84―

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