鹿島美術研究様 年報第40号別冊(2023)
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注⑴菊地淑子「敦煌莫高窟第217窟の開削と改修をめぐる歴史:漢語史料から見た寄進者と改修者」とは、帰義軍時代以前はしばしば列像の先頭が出家であったのに、帰義軍時代になると列像の先頭が出家でなくなっていくと指摘されていることと関係があると考えられる(注29)。第329窟重修時の供養者列像の先頭は、前述したように甬道南壁第1身である。上記のような指摘がある中、この甬道南壁第1身は出家であることが図像から確認され、これが何を意味するかについても今後の課題としたい。同窟主室南壁下部第1身の阿闍梨像は、洞窟全体の供養者の先頭ではなく、当該壁面の第1身である。同壁の普光寺尼僧像は、恐らく他の供養者たちと同じ一族の出身であり、その一族出身の出家者たちが、同壁における序列の高い先頭の位置から順に配列されたのだろう。その際にすでに故人であり阿闍梨の資格を持っていた尼僧が同壁の第1身の位置に描かれたと考えられる。そして位の高さを象徴する柄香炉を手にして仏に礼拝する姿に表されたと考えられる。4.おわりに筆者は実地に供養者像とその題記を観察した上で、壁画のデジタル画像を分析し、それにより供養者像の持物の図像と題記を復元した。これに供養者列像の配列という観点を加え、供養者の持物の意味と機能を考察した。本研究を通して、常に風化に曝されている敦煌石窟の供養者の研究にとり、1908年のペリオの調査記録が重要であることが改めて分かった。こうした過程を経て肩書と持物が明らかになった莫高窟第329窟主室南壁下部供養者列像第1身普光寺阿闍梨像は、所属寺院の地理上の位置、その規模、その寺院で行われた法会も判明し、かつその寺院での地位も分かる貴重な図像である。また柄香炉は、所作を動的に想像させるだけでなく、人間の序列をも示唆する興味深い持物であり、洞窟という建造物の内部空間における供養者同士の関係を捉える手がかりとなる。さらに同窟には、創建当初と後代重修時のそれぞれの供養者像、供養者題記が残されており、建造物は一旦その地に誕生すると長くそこに存在し続けるために、各歴史的局面における多様な姿を建造物内外に留めるという特質を表している。第329窟は建造物という表象の特質を表している魅力的な作例である。―85――85―

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