『鹿島美術研究』年報30号別冊,鹿島美術財団,2013年,314-337。⑵折山桂子氏は論文「敦煌莫高窟における初唐の弥勒経変相図の嚆矢をめぐって」(『美術史』第185冊vol. 68 No. 1,美術史学会,2018年,1-17)において、筆者の論文山崎淑子「敦煌莫高窟・唐前期壁画における制作技法の変化─『型』と画面構成の関係─」(『美学』第47巻第3号,美学会,1996年,12-23)を引用したうえで、筆者が第329窟主室南壁と同窟主室北壁の題材を入れ違いに記したことを指摘している。氏のご指摘を承け、同窟主室南壁の題材を西方浄土変、同北壁の題材を弥勒経変と訂正して図1を作成した。⑶筆者は独立行政法人文化財研究所(東京文化財研究所)において2002年2月20日に開催された中国壁画研究協議会での研究発表「敦煌莫高窟・唐前期窟における仏龕の形状変化とそれをめぐる問題」の中で、同窟を含む莫高窟唐前期窟群の仏龕の形状を比較した。⑷敦煌研究院編『敦煌石窟内容総録』文物出版社,1996年,p. 135。以下、同書を『内容総録』と略称する。⑸中国壁画全集編輯委員会編『中国壁画全集 敦煌5初唐』遼寧美術出版社,1989年,図94を参照。張先堂「莫高窟供養人画像的発展演変─以佛教史考察為中心」『敦煌学輯刊』2008年第4期,p. 99および図2を参照。⑹敦煌研究院編『敦煌莫高窟供養人題記』文物出版社,1986年,pp. 132-135。同書を以下において『供養人題記』と略称する。⑺注⑷前掲書,p. 134。⑻土肥義和『燉煌文書の研究』汲古書院,2020,p. 466。初出は同「特論 敦煌の社会と仏教─九・一〇世紀の莫高窟と三所禅窟と敦煌仏教教団」『シリーズ・東アジア仏教Ⅰ 東アジア仏教とは何か』春秋社,1995年,246-271。⑼注⑻2020年発行前掲書,p. 520。初出は土肥義和「敦煌莫高窟供養人図像題記について─その配置を中心に─(一)」唐代史研究会編『唐代史研究会報告集第Ⅷ集 東アジア史における国家と地域』刀水書房,1999年,337-373。⑽土肥義和編『八世紀末期~十一世紀初期 燉煌氏族人名集成 氏族人名篇 人名篇』汲古書院,2015年,pp. 249,503。⑾帰義軍時代の敦煌石窟供養者の持物や敷物については、赤木崇敏氏の研究に詳しい。赤木崇敏「曹氏歸義軍節度使時代の敦煌石窟と供養人像」『敦煌寫本研究年報』第十號,2016年,pp. 290-301。⑿注⑷前掲書,p. 134。⒀『内容総録』の移録に付した傍線は、筆者の現地における肉眼の熟覧結果である。この後で述べるように、当該壁面のデジタル画像を敦煌研究院に提供して頂き、これを分析したところ、肉眼で確かめえた文字よりも多くを判読することができた。⒁史岩『敦煌石室画象題識』比較文化研究所、国立敦煌芸術研究所、華西大学博物館,1947年,p. 80。⒂以下に主要な参考文献を発表年順にあげる。小野佳代「中国および日本における柄香炉の用法─図像解釈への可能性─」『奈良美術研究』第3号,早稲田大学奈良美術研究所,2005年,131-159。李雪芹「雲岡石窟彫刻中的長柄香炉小議」『敦煌研究』2012年第6期(総第136期),41-46。馮慧「中日所見晋唐時期的長柄香炉」『考古與文物』2016年第5期(総第217期),122-133。赤木崇敏注⑾前掲論文,pp. 290,293。―86――86―
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