付記敦煌石窟での実地調査と画像資料の提供を許可下さった蘇伯民院長、趙声良前院長、洞窟の現状をご教示下さった張先堂氏、李国氏に感謝申し上げる。また収蔵品の特別観覧を許可下さった和泉市久保惣記念美術館、黒川古文化研究所に感謝申し上げる。さらに中国語文献の入手にご助力下さった陳振旺氏に感謝申し上げる。pp. 76-77。崔菊姫「中国古代長柄香炉」『中原文物』2016年第5期,76-84。林梅村、郝春陽「鵲尾炉源流考─従犍陀羅到黄河、長江」『文物』2017年第10期,63-74。また初唐期の鵲尾形柄香炉を黒川古文化研究所にて特別観覧させて頂いた。第329窟普光寺阿闍梨像は10世紀の壁画であるが、黒川古文化研究所収蔵の鵲尾形柄香炉は南北朝からつづく古様を示している。黒川古文化研究所編刊『文化財保護法50年記念 黒川古文化研究所名品展─大阪商人黒川家三代の美術コレクション─』2000年,図7-19,p. 191を参照。⒃本稿掲載の描起こし図の作成にあたり、描線と文字の復元をめぐる判断の責任は筆者が負い、月森健一氏がソフトの操作を行った。⒄張先堂「晩唐至宋初敦煌地方長官在石窟供養人画像中的地位」樊錦詩、栄新江、林世田主編『敦煌文献・考古・芸術総合研究─紀念向達先生誕辰110周年国際学術研討会論文集』中華書局,2011年,p. 462。⒅和泉市久保惣記念美術館編刊『特別展 香炉─東アジアの香りの文化をたどる─』2008年,図25,p. 80参照。⒆洪認について、敦煌文献S. 474vに見える「洪忍」と同一人物であることを2011年7月に指摘されたのは、筆者が注⑴前掲論文p. 325において述べたように、土肥義和氏である。但し旧稿では土肥氏から筆者に提供された書面に示された洪認の年代を引用し誤り、10世紀半ばと記した。土肥氏は筆者に提供された書面において確かに洪認の年代を10世紀前半とされていた。ここに訂正して故土肥名誉教授にお詫び申し上げる。敦煌文献S. 474vに見える洪忍については、竺沙雅章『中国仏教社会史研究』同朋舎出版,1982年,pp. 350-351を参照。⒇菊地淑子「敦煌莫高窟第二一七窟供養人題記再論─囲繞題記書写年代、開鑿者及重修者的問題」『絲路文化研究』第四輯,商務印書館,2019年,61-81,p. 73図8。李正宇『敦煌史地新論』新文豊出版,1996年,p. 92。竺沙雅章,注⒆前掲書,p. 353。浄土宗大辞典編纂実行委員会編『新纂浄土宗大辞典』浄土宗,2016年,p. 928「先進」西城宗隆執筆。引僧による柄香炉の用法について、落合俊典氏よりご教示を得た。唐釈道世著,周叔迦、蘇晋仁校注『法苑珠林校注』中華書局,2003年,p. 778より引用。この説話は魯迅校録『古小説鉤沉』斉魯書社,1997年,p. 333に採録されている。鵲尾形柄香炉については注⒂を参照。河南省文物研究所編『中国石窟 鞏県石窟寺』平凡社,1983年,図22。赤木崇敏,注⑾前掲論文,p. 290。張先堂,注⒄前掲論文,p. 462。沙武田「供養人画像與唐宋敦煌世俗佛教」『敦煌研究』2007年第4期(総第104期),2007年,―87――87―
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